日本型「ものづくり」の限界を打ち破るコニカミノルタの挑戦
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    しばらくぶりの投稿になります。
    今回はいつもと趣を変えて、ある企業の新たな試みを紹介します。
    これは日経電子版にも掲載されていた内容ですが、
    日本型「ものづくり」に欠けている要素を補って余りある大きな挑戦で、
    一人でも多くの方に読んでいただきたい、と思っています。

    それでは始めます。

    ○「スタートアップ」とは?

    2013年10月のある晩、ウィーンのホーフブルク城(冒頭写真)内には
    夜を徹して議論する「スタートアップ」企業の経営者たちがいました。
    ここは企業家、投資家の交流会「パイオニアズフェスティバル」の会場。
    コニカミノルタはその主要スポンサーで、この日は会場から協業のアイデアを
    募ったのでした。


    (熱気あふれる「パイオニアフェスティバル」の会場)

    ところで、「スタートアップ」とは何でしょうか?

    「パイオニアフェスティバル」の輪の中心にいた
    コニカミノルタ市村雄二執行役は答えます。
    「市場ニーズを明確にとらえて事業化するのがスタートアップ開発」で、
    従来のいわゆる「ものづくり」である「プロダクトアウト」に対して、
    「スタートアップ」は「マーケットイン」になります。

    「プロダクトアウト」と「マーケットイン」。
    この違いを認識すると、今までの日本の製造業には
    「マーケットイン」の発想が欠けていたことが分かります。
    良いものを作っていれば売れるという信念で高品質の製品を
    作ってはきたものの、販売には結び付かないという例を
    私たちはいやというほど目にしています。


         (コニカミノルタ市村雄二執行役) 

    例えば、こういう事です。

    コニカミノルタは長年ロボット技術に取り組んできました。
    しかし、このままではいくら良い技術でも世に出ることはありません。
     
    2014年に出資した米ナイトスコープ社は、「犯罪発生率を5割削減する」
    というミッションを掲げて警備ロボットの事業化を目指しています。
    同社は開発体制もセンサー技術などの将来的な進展を見越して、
    自前主義を廃し、世界中の開発動向をリサーチし、最善のものを取り入れる
    方式を採用しました。コニカミノルタはこのナイトスコープ社と協業することに
    しました。市村執行役は言います。
    「彼らのミッションをともに達成することでコニカミノルタの潜在力も生かせる」

    警備ロボットの開発というマーケットインの発想に乗ることで
    同社のロボット技術が生かせる、というわけです。

    「フェスティバル」の会場ではスタートアップ企業から「休む間もなく提案が舞い込む」
    と市村氏は苦笑しますが、
    「彼らの着眼点、スピード感はコニカミノルタからは生まれない」とも話しています。


    ○真のイノベーションを実現するには

    ある日、市村氏は当時専務だった現社長の山名昌衛氏から、
    「マーケットインの概念を社内に浸透させる方策」を託されました。
    内々に集められた5人の幹部は「イノベーションを起こすには、従来の取り組みとは
    非連続の挑戦をしないといけない」という危機感を共有していました。
    「スタートアップとの協業にとどまらず、スタートアップのような開発部門を作る」−
    熱い議論から次の展開が見えると、山名氏はすぐに経営会議に諮り、
    市村氏に体制作りを命じました。
    2014年2月に稼働した「BIC(ビジネスイノベーションセンター」がそれです。

    市村氏は、マーケットインの舞台を本社においても意味がない、と考え
    日米欧、中国、シンガポールの5カ所に部隊を配置しました。



    さらに、社内の研究開発部門と区別するため、中心メンバーは
    社外からスカウトするという徹底ぶり。
    それからわずか1年半。すでに介護関連システムなど86件の新規事業案件が
    動き出しています。
    BICが軌道に乗り始めると、社内の研究開発部門の社員の意識や行動に
    変化が出てきました。社内からも多くの技術提案が出てきたのです。
    まさに狙った通りの効果が出てきました。
    プロダクトアウトだけだった視点から、マーケットインの視点も併せ持って
    技術や製品の開発ができるようになったのです。


    ○日本の製造業の「パラダイムシフト」にむけて

    コニカミノルタの事例は伸び悩む日本の製造業に大きな示唆を与えてくれます。
    現代表執行役社長の山名昌衛氏の言葉を抜粋してお伝えしましょう。


        (山名昌衛 コニカミノルタ代表執行役社長)

    「日本の製造業は、パラダイムを変えて、新たなモノ作りの強さ追求するしか生きる道はない。
    そのためには技術を磨く従来の手法に加え、社会のニーズを探求し、
    社内外の技術を結集して最適な解を提供する「マーケットイン」の概念を
    取り入れなければなりません。

    これは「自前主義」を捨てるということで痛みを伴い、自助努力だけでは進みません。
    そこで社外からマーケットインにたけた人材をスカウトし、BIC
    (ビジネスイノベーションセンター)という組織を作りました。
    「社会のために何ができるか」から着手するお客様本位のモノ作りの醍醐味を、
    実際に社員に感じてほしかったのです。
    今後は刺激を受けた若い社員をBICに送り込み、新しいモノ作りを学んでもらいます。
    創業から受け継いできたモノ作りの精神は必ず守りますが、
    れ以外は何を変えてもいいと社員に伝えています。
    モノ作り復権のためにも、退路を断って変革をやり遂げます。」

    創業142年の名門企業の社長が、新たな成長シナリオを熱く語るさまは、
    読む者の胸に迫ってきます。
    山名社長は「日本のモノ作りが技術で勝って、
    ビジネスで負けたといわれることが悔しい」と語ります。
    これは日本の製造業にかかわる者すべての気持ちではないでしょうか。
    TPPも大筋合意となってきたなかで、日本企業も大きく変わらなければ
    生き残ることはできないでしょう。
    さまざまな方法が練られているとは思いますが、
    「スタートアップ」の精神とモノ作りの精神を融合し、
    プロダクトアウトとマーケットインの協業で成功を収めつつある
    コニカミノルタは良き先例となるのではないでしょうか。




     
    posted by: shigemi11 | - | 18:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    なぜ金平糖は皇室の引き出物に使われるのか?
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      皇室の方々のお祝いの引き出物に、ボンボ二エールに入った金平糖がよく使われます。

      なぜでしょう?

      その訳は、金平糖の製法を知ることから見えてきます。

      金平糖は、1546年ポルトガルからもたらされた品々の一つで、

      コンフェイトスというお菓子の名前が日本語風になまって

      「金平糖」になったと言われています。


      金平糖づくりには、レシピがありません。

      職人の長年の勘と腕で作っていくのです。

      コテ入れ10年、蜜掛け10年、一人前になるのに20年はかかる、奥の深い技術です。

      金平糖を作るには、まず、微妙に傾斜のついた大釜を熱し、

      ゆっくりと回転しているところへ「核」になる小さなザラメを投入します。

      そこへ70度の糖蜜を7〜8分おきに柄杓でザラメに掛けていきます。

      釜の温度は80度。1分間に2回転。

      温度と釜の回転、糖蜜の掛け方などを微妙に調整しながら丸一日、

      延々とこの作業を繰り返します。



      さて、これほどの手間をかけた金平糖は1日でどの位の大きさに成長するのでしょうか。

      驚くなかれ、なんとたった1mmにしかならないのです!

      この作業を16日から20日続けてやっと「金平糖」が完成するのです。

      20日の間には天候も変化するでしょう。外気の温度に合わせて糖蜜の濃度・釜の温度と角度

      を調整し、釜の中で転がる金平糖の音を聞きながら五感を研ぎ澄まして作り上げていきます。

      砂糖以外の素材を入れると固まりにくかったり角ができなかったり、

      さらに難易度が上がります。


      しかし、これほど難しく手間が掛かる製法でありながら、

      出来上がった金平糖の何と可憐なこと!!


      日本では金平糖が、古来より皇室のご成婚のなどお祝いごとの引き出物に使われてきました。

      それは、金平糖が一朝一夕でできるものではなく、

      職人が2週間以上掛けて、細やかに愛情を注ぎながら

      持てる技を注ぎ込んでうまずたゆまず作り上げていく工程が、

      お二人が愛を持って永い年月を掛け、立派なご家庭を築かれる過程と

      シンクロするからではないでしょうか。

      同時に、これまで愛情を注ぎ手塩にかけて我が子を育ててきた

      親心を表しているようにも見えます。



      金平糖は、どれほど苦労をしてもそれを顔に出さず、さりげなく振舞う日本人の美学に

      どこかしら通ずるものがあるように思えてなりません。



        (紀宮様のご結婚に使われた和風のボンボ二エール入りの金平糖)


       
      posted by: shigemi11 | - | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      幸徳秋水が「命の恩人」?
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        実家の食器棚の奥深くに、ひっそりとしまってある盃があります。

        花か果物の枝の下に「除隊記念」の文字と大砲が描かれ、

        さらにその下に「野砲二」と苗字が描かれています。

        兄がこの盃にちなんだ父のエピソードを話してくれました。


        招集された父は仙台の野砲兵第2連隊に属していました。

        ある夜のこと、憲兵と伍長が密かに父を起しに来ました。

        「話がある。外へ出ろ。」と、憲兵は険しい顔つきで言ったそうです。

        言われるままに父は兵舎の外に連れ出されました。

        そこで憲兵がおもむろに取り出したものは・・・。


        何と幸徳秋水の「社会主義神髄」の文庫本だったのです!

        憲兵が重苦しい表情で口を開きました。

        「貴様の家からこんなものが送られてきた。どういうことだ。」


        父は、最初は意味が分かりませんでしたが、思い出しました。

        父の実家に「どんな本でもいいから送って」と手紙を出したことがあったそうです。

        それを読んだ家族が父の本棚から適当に抜いて送ってきたのが

        幸徳秋水の本だった、という訳です。

        憲兵はますます表情を険しくしながら言いました。

        「帝国陸軍の兵士がこともあろうにアナーキストの本を兵舎で読んでいるなどと知れたら、

        貴様や自分はもちろん、連隊長殿の首も飛ぶ。事の重大さが分かっているのか!」

         (幸徳秋水「社会主義神髄」)

        一緒に来た伍長は、ただおろおろして、

        「自分は農家の三男坊で、食うや食わずの生活をしていた。

        軍隊に入ってやっと三度の飯をちゃんと食べられるようになり、

        伍長にまで出世したのに、こんなことが発覚したら、自分は、自分は・・・」と

        言い終わらないうちに泣き出してしまったそうです。


        困った憲兵は、しばらく考えた挙句、こう言いました。

        「いいか、今度の件はなかったことにする。この本は自分と伍長が責任をもって処分する。

        そして貴様は思想犯として、重営倉入りとする。」


        こうして父は重営倉に入りました。つまり軍隊の刑務所です。

        こういう不埒な(笑)兵士は対して出世もせず(伍長どまり)、

        戦地に送られることもありませんでした。

        無事除隊した記念に作ったのが冒頭の盃という訳です。


        ネットで調べたところ、野砲兵第2連隊はハルピンやノモンハンに行ったり、

        ガダルカナル島奪回作戦にも参加しています。

        熾烈をきわめたガダルカナル島からは昭和18年に撤退し、

        ブーゲンビル島、フィリピン、ビルマ、そしてインドシナへと転戦し、

        そこで終戦を迎えています。


        もし、父が重営倉に入るような「思想犯」(!)でなければ、

        父もガダルカナルやインドシナで戦っていたかもしれません。

        場合によっては戦死の可能性もあったでしょう。

        だとすれば、戦後、兄や私や弟は生まれていませんでした。


        もし父の実家が幸徳秋水の本を送って来なかったら、

        父は一体どうなっていたのでしょう。

        命の不思議さ、縁の不思議さを思わずにはいられません。

        秋水と、度量ある憲兵さんに感謝です。

         (宮城県美術館 野砲兵第2連隊跡地の記念碑)
        posted by: shigemi11 | - | 18:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        日本のハロウィンがバレンタインを超えた訳
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          「今日、ハロウィンなんで友達と飯食ってくるから、夕食はいらないよ」と、
          出がけに息子が言って出勤しました。
          「そう」と返事したものの、ハロウィンの定着ぶりに思わずため息が出た朝でした。

          今年は10月31日がハロウィンだそうです。

          世界的に見ると、アメリカ、イギリス、アイルランド、カナダ、といった
          プロテスタント系の国がこのケルト由来の悪霊祓いの宗教的行事を行うようです。
          もっとも今では宗教的な意味合いは薄れ、みんなで楽しめるイベントになっています。


          商業的に見ても、秋商戦が終わり、クリスマス・新年商戦にはまだ早い
          10月後半は、消費が落ち込む時期でもあります。
          この時期に催されるハロウィンは、停滞しがちな消費を活性化する
          格好のチャンスといえましょう。

           
          2014年に発表された全米小売業協会の調査によれば、
          ハロウィンに関わる推定消費額は全米で74億ドル(約8000億円!)に上ります。
          しかも市場規模は拡大傾向にあるとか。
           

          日本でも最近はハロウィン関係の消費がバレンタインを上回ってきたそうです。
          バレンタインと言えば「チョコ」が主流で、販売単価もそれほど高額ではありません。
          (もちろん、一粒何千円もする驚く程高い商品もありますが。)

           
          一方、ハロウィンは「トリックオアトリート!」用のキャンディの他、
          とりわけコスプレ大国日本では「衣装代」がバカになりません。
          欧米のように家族や近所で楽しむというより、
          都会の大規模なパレードやパーティなどで若者同士が盛り上がる日本では、
          衣装代の経済効果もかなりのようです。


           




          サッカー観戦など大勢で盛り上がって騒ぐの大好きな最近の若者にとって、
          大手を振ってお祭り騒ぎができるハロウィンは格好のイベントなのでしょう。

           
          私はまた、この若者のはしゃぎぶりに日本の秋祭りのDNAを感じます。

           
          収穫を祝って神に感謝を捧げた秋の収穫祭。
          「秋祭り」の童謡にもあるように、村の鎮守様から聞こえる笛や太鼓の音に
          身も心も浮き立った昔のお百姓の感覚が無意識に蘇っているのではないか、
          とも思えてしまうのです。
          調べてみると、実は日本にもハロウィンによく似た「月見泥棒」という風習が
          あるのです。



          十五夜にすすきと団子をお供えする風習は全国にありますが、
          ほんの少し前まで(今でもやっているところがあります)
          子供たちがその団子を盗んでいい、という面白い風習がありました。
          いわば「和製ハロウィン」とでもいいましょうか。
             

          団子を盗まれた家でも、盗まれるのは大歓迎で、わざと盗まれやすいように
          玄関先に置いたりしたそうです。
          子供は「神のお使い」とされていたので、
          「盗まれた」=「神様が召し上がった」ということで
          盗まれるほど喜ばれたそうです。

           
          子供たちもこうした村の行事に参加することで、しきたりを学び、
          共同体の一員としての自覚と役割を身につけていったのでしょう。


           
          話をハロウィンに戻しましょう。

           
          かつてケルト人が異教であるキリストの生誕日を、
          ケルトの春の祭(冬至)とダブらせて祝ったように、
          今日本では、そのケルトの行事が
          昔の日本の秋祭りの時期に都会で若者に受け継がれているような気がします。

           
          ケルトを知らなくても、村の鎮守の秋祭りを知らなくても、
          若者たちは異形の衣装をまとい、街を非日常の空間に染め上げていきます。

           
          息子の話によると、ハロウィンの日の渋谷は、
          昼間からスパイダーマンやゾンビや魔女が「普通に」
          スクランブル交差点を歩いているそうです。
           

           
          日本のハロウィン、それは宗教なき時代の新しい祝祭のかたちなのかもしれません。

           
          ハロウィンにあって、バレンタインにないもの、それはこの「祝祭性」ではないでしょうか。

                
               (ノルウェー  サンタクロース村のクリスマス光景)
          posted by: shigemi11 | - | 14:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          バリ、キラキラの島を訪ねて  その3
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            バリでよく見かける花

            前回から7ヶ月経過!(汗)

            春のお彼岸も過ぎ、お盆も暑い夏も終わりかけ、もうすぐ秋のお彼岸が来るというのに、
            私は(忙しさにかまけて)新年の記事を書き終えていない・・・。
            本当に、本当に、恥ずかしい限りです。
            私の方がキラキラ(バリ語でテキトー、だいたい、という意味)してしまいました。

            さて、7ヶ月ぶりの続きといきましょうか(テレ隠しにちょっと開き直っています)。


            前回、つまりバリ紀行の2回目では、紗綾形文様や獅子舞そっくりのバロンなど、
            「比較文化的な視点」でバリ文化を見てみました。
            今回は、日本人から見た驚きの風習とその背景に触れてみましょう。


            私たちが目的地に向かう途中、道路沿いに森の一部が大きく削られ、
            こげた木片が散乱している場所がありました。
            「あれは何?」とガイドに聞くと、
            こともなげに、「火葬場ですよ」と返事が帰ってきました。

            バリの森はこんな感じ。(ここは火葬場ではありません。)

            「え? 火葬場? 野外で? 骨はどうするの? お墓はどこ?」などなど
            あふれる疑問を察知したかのように、ガイドが口を開きました。

            「バリにはお墓はありません。まあ、大統領のようなえらい人は立派なお墓を作りますが、
            私たち一般人は、家族が死ぬと森で遺体を焼いて、骨を海に捨てます。
            そして魂だけを持ち帰って祭壇に祀るんですよ。」
             
            お墓がない!
            これは結構なカルチャーショックでした。

             
            そういえば、レンボンガン島に行ったとき、島に一つしかない診療所の隣が共同墓地でしたが、
            あれは墓地というより、「遺体安置所」なのだそうです。
            バリではお葬式に大変費用がかかる(日本でもそうですが)ので、
            手元不如意の遺族は費用を調達しなければなりません。
            それまでの間、共同墓地に埋めておくのです。
            日本のように遺体を冷凍保存することのできないバリでは、
            地中に保管しておくのは合理的なことです。一種の生活の知恵ですね。
             

            私は、バリの人が余り海で遊ばないわけが分かるような気がしました。
            現地の人は海を見ながら男同士が談笑していたり、
            あるいは魚を獲ったりしますが、けっして中に入って遊ばないのです。
            先祖の骨を撒いた海で、遊ぶ気にはなれないのでしょう。
             
            海で散骨をする彼らにとっては、海こそが「墓地」なのです(墓海というべきか)。

            美しいレンボンガン島の海。現地の人にとっては「墓地」でもあります。
            (だからバリでは「聖地」は海と対極の山にあるのでしょうね。)
             

            家庭の祭壇についても面白いことを聞きました。
            どの家庭にもある祭壇は上中下と、三段に分かれているそうです。
            一番上はヒンドゥーの神様、2番目は先祖、そして3番目は何と悪霊を祭っています。
            信心深いバリの人は、毎朝これらの祭壇に果物や花などのお供えを欠かしません。
            しかし、「悪霊を祀る」というのは、理解に苦しみます。

             
            「???」という顔をしていると、すかさず(カンのいい)ガイドが説明を始めました。
            「悪霊は放っておけば悪いことをするでしょ。だからお祭りして、お供物を上げて、
            悪いことをしないでください、とお願いするのです。
            日本語でもあるでしょ、『手懐ける』って。」
            実に日本語の達者なガイドで、本当に助かります(笑)。
            確かに、理にかなっていますね。

             
            それから、「水上の寺院」として有名なブラタン寺院に行った時のこと。
            寺院の入口を見て思わずにっこりしてしまいました。

            ブラタン寺院の入口にあったもの

             
            なんと、ヒンドゥーの聖地に「クリスマスツリー」があるのです!(笑)。
            おおらかですね。こういう感性は日本と似ているなと思いました。


            本来多神教であるヒンドゥー教は、異教文化に極めて寛容です。
             
            しかし、インドネシア建国時に定めた国家理念の五原則のうち、
            第一原則が「唯一至高神の信仰」となっているのです。
            つまり多神教を禁じられ、一神教の信仰が国民に義務付けられたのです。
            ヒンドゥーの長老達は困りました。
            彼らは会議を重ね、次のように教義を変更したのです。


            「昔からあったヴィシュヌ、ブラフマ、シヴァの三神は、
            唯一神サン・ヤン・ウディの三体の化身である」

             
            こうして、バリ・ヒンドゥーは(インドのヒンドゥーと違い)、
            多神教から、唯一神サン・ヤン・ウディを信仰する一神教へと姿を変えました。
            けれども、人々の生活や毎日の宗教儀礼は変わっていません。
            昔からのやり方を守っています。
            そのさまは、本音と建前を使い分けるしたたかさ、というより、
            バリ人特有の「キラキラ性」がプラスに働いた結果、
            おっとりと変化に対応しているかのように見えます。

             
            バリ島には、白と黒の市松模様の布を巻かれた樹木や置物、建物がよく目につきます。

            裕福そうな民家の入口。どこも建物は立派でも、門が狭い。
            悪霊が入りにくくするため、わざと狭くしてるそうです。


            これは、善(白)と悪(黒)はともに宇宙を構成する要素であり、
            両者がバランスよく存在することで世界が平和に収まる、
            というバリ・ヒンドゥー特有の宇宙観を表しています。
             
            この素晴らしいバランス感覚が身についているせいか、
            バリの人々には、人懐っこさと、不思議な物静かさが同居しています。
            そして何よりも、だいたい、まあまあ、テキトー、という「キラキラ性」が
            対立よりも調和を好むバリ人を作り上げているのでしょう。

             
            リピーターが多いのも頷けます。
            初めてなのに、なぜか懐かしいバリでした。
            posted by: shigemi11 | - | 18:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            バリ、キラキラの島を訪ねて  その2
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              バリの1月は雨季。私たち一行が訪れた時も、激しいスコールとカラリとした雨上がりが

              交互に襲ってきました。幸いなことに、スコールの時は移動の車中で、

              目的地に着くと止んだり、小雨程度になるのでした。

              写真は滞在2日目に行った、バリ・ヒンドゥーの総本山、ブサキ寺院です。

              正面の階段を上ると山を二つに割った形の門があります。

              バリ・ヒンドゥーの寺院の門は、すべてこの形です。
               
              この門、悪人が来ると山がくっついて通さないそうです(笑)。

              雨で滑りそうだったので、私たちは頂上までは行かず、下からパチパチ写真を撮りました。

              それにしても、バリの寺院で見るこの門、文字通り「山門」です。

              日本でお寺の門を「山門」と言いますね。何だか似ていて面白いと思いませんか。


              似ている、といえばもっと驚いた事があります。

              聖なる水の寺院、ティルタウンプルでのこと。

              ここは人々が水浴びをする場所があります。

              私たちが行った時はちょうど「新月の祭り」の日で、

              大勢の人が押すな押すなで聖なる水を浴びていました。

              中には泣き叫ぶ赤ん坊の頭に無理やり水をかけている父親とか、

              前の人が「カーッ、ペッ」と痰を吐いたあとの水を

              有り難そうに浴びている人もいて、

              「信仰の力とはすごいものだ」と改めて感心させられました・・・。

              (まさに芋を洗うような水浴び場)

              この寺院に入るにはヒンドゥー教徒でなくとも「サロン」という腰巻のような布が
               
              男女とも必要になります。



              これは、神様の捧げるお供え。ヤシの葉を加工した器に花や果物などが彩りよく

              盛られています。手作りがほとんどですが、最近は「お供えセット」として

              売られているそうです。


              話を元に戻すと、私はこの水浴び場の門の横にある石彫の模様を見て、

              思わずびっくりしてしまいました。



              バリ人は手先が器用なのと、砂岩という軟らかい石質もあって、
               
              大変彫刻が得意です。この壁面も実に見事なレリーフで覆われています。

              何気なく見ると、なんと花の彫刻の右横には、

              日本で「紗綾形(さやがた)」と呼ばれる文様が刻まれていたのです!

              紗綾形?

              ピンと来ない方は、「遠山の金さん」や「大岡越前」を思い出してください。

                 
               
              お白洲を前に金さんや大岡越前が座るとき、決まって後ろの襖模様はこの「紗綾形」です。
               
              和服の地紋にも使われるこの文様は、中国由来かと思っていたのですが、
               
              もっと古かったのですね。
               
              インドで生まれた仏教は、当然ヒンドゥー教文化の影響も受けていたことでしょう。
               
              それがはるか日本に伝わり、日本文化に溶け込んでいったのです。

              雄大な歴史の一端を垣間見た気がしました。

              紗綾形のコア図形である卍は、ヒンドゥーでは「お寺」の象徴だそうです。
               
              レンボンガン島の寺院の屋根には、大きな卍の飾りが乗っていました。
               
              そういえば日本の地図でもお寺の記号は卍です。
               
              なんだかつながっていますね。

               
              バリの民族舞踊に出てくる「バロン」という聖獣にも、
               
              日本文化との類似性を感じました。


              2日目の夜、ウブドゥという有名なリゾート地に行きました。

              そこは西欧系の観光客が長期滞在をする、ちょっと高級な場所で、

              芸術の街とも呼ばれ、民族舞踊を見せるホールがたくさんあります。

              私たちもその一つで、バリの神話に基づいた舞踊劇を観覧しました。

              バリ神話に必ず出てくる聖獣バロンは善なる魂の象徴と言われています。

              (これがバロン)

              顔といい、風体といい、申し訳ないのですが、私には「善」のイメージからは

              遠く感じられました。

              このバロンに頭などを噛まれると、病気や災難から逃れられるそうです。

              「ん? どこかで聞いたような話・・・。」

              そうです、獅子舞の「獅子」です!

              あの獅子も、昔、正月に家に来ると、頭をパクっと噛んでくれたものです。

              4、5歳のころ、お獅子が怖くてべそをかいていると、

              鳶の頭が「お嬢ちゃん、大丈夫だよ。お獅子が病気を食べてくれるからね」と

              笑いながら言っていたのを思い出しました。

              私は体が弱かったので、親が積極的にお獅子に差し出していたように思います(笑)。

               
              バロンも、その怖い顔つきのかしらや、中に人間が入って舞うさまは、

              お獅子そっくりです。
               
              中華街で春節に舞う獅子舞の獅子は、もっとこのバロンに似ています。

              「何だか日本とつながっているなぁ」ーバロンを見ながら、

              しばし比較文化的考察にふける私でした。

               

              文化的考察といえば、「えーっ」と驚いた風習がありました。

              次回はそれをご紹介しましょう。
              posted by: shigemi11 | - | 17:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              バリ、「キラキラ」の島を訪ねて その1
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                年末年始、主人と三女の3人でバリ島に行ってきました。

                羽田から直行便で約7時間。バリは日本と時差が1時間の土地。

                寒風吹きすさぶ横浜を深夜経てば、午前10時には

                摂氏27度を超えるバリのリゾート地、ヌサドゥア・ブノアに到着です。

                ここは去年安倍首相も出席したAPECの開催地で、そのために整備した

                空港や高速道路はモダンで、とても綺麗でした。

                私たちは5つ星ホテルのグランドニッコーバリリゾートに逗留することに。

                ホテルはバリ風と欧風がミックスした大変居心地のよいホテルです。

                 
                エントランスの車寄せそばのバリ風パラソルと龍

                 上から見下ろすとこんな感じ。
                右手の茅葺きのコテージはスパ用の個室。プールとプライベートビーチがあり、いつでも泳げます。
                 

                バリでは「ヤシの木より高い建物は建ててはいけない」と法律で決まっています。

                でも、このグランドニッコーは40mもあるのです。
                「どうして?」と聞くと、

                この建物は崖下から立ち上がるようにして建てられており、道路から見ると
                わずか14mの高さしかないので、OKなんだそうです。ウマいやり方ですね。

                それにしても、建築の高度基準が「ヤシの木の高さまで」とは。

                「高いヤシも低いヤシもあるじゃないですか。
                そういう場合はどうするのですか?」

                現地の人曰く、「高いと言ったって、20mを越すヤシの木は滅多にありません。
                だから大体『ヤシの木の高さ』と言えば十分なんですよ。」


                この「大体」、バリ語で「キラキラ」と言います。

                そしてバリはいたるところ「キラキラ」に満ちています。

                たとえばこのマカダミアチョコレート。
                シールで上蓋を閉じているのですが、なんと、2ミリぐらい隙間が空いているのです!

                物によっては蓋が斜めになっていたり(笑)。
                それも1個や2個ではなく、かなりの比率でそういうパッケージがあります。

                なんという「キラキラ性」!!

                日本で製菓会社がこういうパッケージを店頭に出したら、

                「バイキンが入ったらどうする!」「衛生上大問題!」等々、
                社長が記者会見で頭を下げる事態になってしまうでしょう。


                上の蓋が2ミリ程度プカプカしているチョコレートのパッケージ。


                この「キラキラ性」にいささかカルチャーショックを受けながら、

                私たちのバリ滞在は始まりました。


                「せっかくバリに来たのだから、スパで癒されたい!」という娘の希望で、

                ホテル内にあるMandara Spaに行くことにしました。

                「う〜ん、それより少し休みたいな」という主人に、

                「メンズエステもあるから」と誘って親子3人、スパに行きました。


                マンダラスパにて。施術前の私たち夫婦。

                4種類のエッセンシャルオイルを出され、その中で今一番心地よく感じたオイルで

                マッサージをしてもらいます。主人と娘はラベンダー、私はイランイランでした。
                施術は一軒家になった藁葺きの洒落たコテージで(全裸になって!)個別に行います。
                私と娘は同じコテージでしたが、主人は別棟で。
                香がたかれ、シタールのような音楽が低く流れるエキゾチックな空間で、

                美人の施術師が長時間のフライトで硬くなった体をゆったりとほぐしてくれます。
                 
                贅沢な時間が流れ、心身がリフレッシュした感じでした。
                施術が終わった主人に「どうだった?」と聞いたところ、
                 
                「眠っちゃったから分からないよ」との答えが返ってきました。
                よほど気持ちよかったに違いありません。


                すっかり旅の疲れが取れたところで、ホテル主催の「ニューイヤーディナー」に行きました。

                そこはホテルの別館になっていて、広い緑の芝生の前庭のある白い洋風のホールのような建物です。

                まずは前庭でガーデンパーティ。ワインや洒落たオードブルがふんだんに振舞われ、

                それだけでお腹がいっぱいになりそうです。

                やがて、あたりが暗くなると、バリの民族舞踊が始まりました。



                太鼓を抱えた男性たちが激しいリズムを刻み始めると、羽根などで飾り立てた一人の男が現れ

                トランス状態に入ったように踊り始めました。

                太鼓のリズムとその踊りは、やがて私たち観客を巻き込み、大勢の人が踊り出しました。

                私も一緒に踊ったり、太鼓を叩かせてもらったり、

                ワインの酔いにまかせて、しばらくの間はじけていました(笑)。


                踊り疲れた頃、いよいよホール内の会場の中でカウントダウンのパーティが始まりました。



                ひろ〜いディナー会場の中央にはステージがしつらえられています。

                着飾った客が次々と入ってきます。

                私たちもちょっと被り物をして席に着きました。



                白人系の客がほとんどで、食事の内容も彼らが好みそうな肉、肉、肉、
                それにシーフード、のオンパレードで、いささか食傷しました。


                こうして、「キラキラの島」バリでの最初の夜は
                あわただしく暮れてゆきました、キラキラの被り物をしたままで・・・。

                そして、いつの間にか、時は Happy new year! 











                 










                 


                 
                posted by: shigemi11 | - | 18:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                イギリス旅随想まとめ MIND THE GAPの国
                0

                  MIND THE GAP。
                  ロンドンの地下鉄のホームには、どこも黄色あるいは白いペンキで
                  でかでかと書かれています。地下鉄が停車するたびに、
                  ”MIND THE GAP"とアナウンスもホーム中に響き渡ります。
                  「すき間に注意」という意味ですが、イギリスという国のあり方を考えると、
                  なかなか意味深い言葉に思えます。
                  イギリス自体、GAPだらけの国だからです。

                  もともとスコットランドと北アイルランドとイングランドの3つの王国が
                  連合しているイギリス。それぞれの国では、何度か独立をめぐる争いがありました。
                  3つの国の間には、いまだに深いGAPが横たわっています。

                  折しも2014年9月、スコットランドは、独立を問う国民投票が行われます。
                  http://www.afpbb.com/articles/-/2969152

                  もし賛成派が勝てば300年にわたる連合王国は解消されることになります。
                  GAPが現実のものとなる日が来るかもしれないのです。
                  そうなったら、イングランドと共通の王を戴いているスコットランドは、
                  「王国」ではなくなってしまうのでしょうか。
                  目が離せません。
                   
                  国土にも大きなGAPがあるように、
                  言葉にもGAPがあります。
                  それは、異邦人には見えにくい階級のGAPに由来しているようです。
                  ロンドンの大きな駅の清掃員や場内整理員の人は、
                  Sundayを「サンダイ」、waitを「ウワイト」と、
                  「マイフェアレディ」のイライザのように
                  コックニー訛りで話す人が大勢います。
                  最初は「は?」と聞き取りにくくて困りました。
                  こういう人は生まれながらに労働者階級の人なのでしょう。
                  サッカーのベッカム選手が余り人前で話さないのも、
                  話すと育ちが分かってしまうからだと言われています。

                  私たちがロンドンで滞在したメリディアンホテルは、
                  地下鉄のピカデリー駅から2,3分の一等地にあるホテルでしたが、
                  フロントの主任格の女性はイギリス人ではなく、
                  (どうやら)スペイン人のようでした。
                  その女性の英語たるや、Saturdayを「サットルルデイ」、
                  roomは「ロウ〜ム」、Hは発音しないし、
                  聞きにくいこと甚だしいものでした。


                  (メリディアンホテル)

                  スコットランド人の英語は寒い地方のせいか、
                  くぐもって発音する人が多かったです。
                  groupを口の中で「ゴロウプ」というような感じです。

                  このほか、インド系の人の英語、黒人の英語、
                  様々な英語が微妙なGAPを見せつつ共存しています。
                  余り英語に堪能ではない私が一番聞きやすかったのは、
                  コッツウォルズのプレーンな英語でした。
                  ここはもう一度、ゆっくり訪れたい場所です。


                  (バートンオンザウォーターにて)

                  老大国と言われるイギリスは、もはや7つの海を制した勢いを取り戻すことはないでしょう。
                  ストーンヘンジのような古代の遺跡からビクトリア朝時代までの歴史文物を
                  観光資源として、また世界言語である英語の本家本元として、
                  ブランド国であり続ける努力を必死にしているように思えました。


                  (観光客のために深夜ライトアップしているバッキンガム宮殿)

                  ヒースロー空港で、フライトを待ちながら、
                  ふと、スコットランドで見たタータンチェックのマフラーを思い出し、
                  あるかなと思いながら、(時間があったので)広い空港内のショップを
                  くまなく探し回りましたが、どこにも見当たりませんでした。

                     
                           (ヒースロー空港内のショップ街)

                     
                       (スコットランドのタータン屋さん)

                  「あ、そうだ、ここはスコットランドではない、イングランドだった!」
                  イングランドにスコットランドの製品があるわけがないのです。
                  まさに”MIND THE GAP"でした。
                   
                  空港の売店の雑誌のシェルフをふと見ると、
                  ”OUR FUTURE KING WAS BORN"と大きな見出しと
                  生まれたばかりのジョージ王子の写真が載っている
                  週刊誌が何冊も並べられていました。
                  スコットランドでは全く見られなかった光景です。

                  まるでミニEUのような「連合王国」。
                  つながっているけど本当は別の国。
                  至る所に大小さまざまなGAPが横たわっている国、イギリス。
                  興味が深まる頃、私たちは帰国の途に就きました。

                  2014年まであとわずか。
                  来年の9月以降、スコットランドはどうなっているのでしょう。



                   
                  posted by: shigemi11 | - | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  イギリス旅随想−エジンバラからロンドンまで その7
                  0
                     
                    シティ・オブ・ロンドンについて、
                    「金融資本主義が生まれた場所をこの目で見てやろうじゃないか」と、
                    渡英前、まるでロスチャイルドの本拠地にでも乗り込むかのような意気込み(笑)で、
                    主人が言っていました。
                    「ツーリスト風情がちょっと立ち寄ったぐらいで、その奥の院がわかる訳ないでしょ」と
                    私は乗り気ではなかったのですが、結局行くことに。

                    シティは、冒頭の写真を見ればお分かりの通り、
                    高さ制限のあるロンドンにあって、制限高度を超えたビルが林立しています。
                    なぜこんな事が可能なのでしょうか?
                    実はそこにこのシティの「秘密」があります。
                     
                    シティ・オブ・ロンドンは、ザ・シティとも呼ばれ、広さが約1マイル四方の区域で
                    下の地図を見れば分かるとおり、ロンドン市のほぼ中央に位置しています。

                     
                       (中央の赤い箇所がザ・シティ)

                    ここは、イギリス国内でありながらイギリスではなく、
                    ロンドン市内にありながらロンドンに属さず、
                    自治権をもっている、いわば独立国のような例外的な地域です。

                    ですから、写真のように、ロンドン市の法律を無視した建物がいくらでも
                    建てられるのです。
                    警察も、ロンドン警視庁(スコットランドヤード)とは別に、
                    シティだけの警察があります。
                     
                     シティの警察署前にあるポール
                     
                    ここは、ロンドン全体を統括する市長(Mayer of London)とは別に、
                    独自に市長(Lord Mayer of the City of London)がいます。
                    エリザベス女王でさえ、シティを通るときはその市長の許可を得る
                    儀式を経なければなりません。
                     
                    シティには、現在ロンドン証券取引所やイングランド銀行、ロイズ本社等が
                    置かれ、19世紀から今日に続く一大金融センターとなっています。
                    ちなみに国際金相場の価格は、ここのどこかにあるロスチャイルド家の一室で
                    決めている、と言われています。
                     
                    シティに行くには地下鉄の、その名もバンク(銀行)という駅で降ります。
                    駅から地上に出る階段の踊り場の壁を見て、
                    私たちは思わず「ギクッ」としてしまいました。


                    恐ろしい形相のドラゴンが、2頭でお出迎えです。
                     
                    地上に出るとこんな感じ。
                     
                    日曜日のせいもあって、金融街はビジネスマンは見当たりません。
                    平日でもシティを訪れる観光客なんてあまりいないでしょう。
                    閑散として、ロンドンの他の場所とは大違いです。
                    右の写真はイングランド銀行です。

                     

                    ひときわ立派な建物は、旧王立両替所です。
                    このローマ風の建物は、柱といい、壁面といい、神話や聖書に題材を取った
                    見事な彫刻で覆われています。

                     旧王立両替所の正面

                    ピンクのジャケットの人物は私です(^^)。
                    全体の大きさが分かりますね。大変壮麗です。
                     
                    しかし、ここも今では内部は外国の高級ブティックのショッピングモールとなっています。
                    イギリス経済の現状を物語って余りあります。

                    私たちはさらに、この自治都市ザ・シティの行政中枢、ギルドホールに足を伸ばしました。
                    ギルドホールの正面入口には、あのドランゴの紋章が。

                     

                    2頭のドラゴンは、イングランドの「国旗」であるセント・ジョージ旗を持ち、
                    翼にもセント・ジョージ旗が描かれています。
                    写真でははっきり見えませんが、ドラゴンと旗の下にラテン語が書いてあります。

                      DOMINE DIRIGE NOS (主よ、我らを導き給え)

                    確かに、ここはロンドンではない、別の雰囲気を感じます。

                    ギルドホール敷地内にあるギルドホールヤードに入ったとき、
                    さらにそれを強く感じました。

                     ギルドホール
                    (この前庭が広いヤードになっています。)
                    まるで中世の世界に迷い込んだような静謐な空間。
                    私たち以外、誰もいないのです。
                     
                    実はこのヤード、ローマ人が入植した時期には、円形競技場だったのです。
                    そう、猛獣と戦うグラディエーター達が活躍したり、公開処刑が行われた場所だったのです。

                    そうか、「シティ」はいまだに「ロンディニウム」(ローマ時代のロンドンの呼び名)なのだ!
                    ローマ人の夢が眠る、誇り高きシティ・オブ・ロンドン。
                    不思議な違和感を、私は勝手にそう解釈しました。

                    そして、シティを一歩出れば、休日の街はご覧のとおり。


                    カフェには人が溢れ、いつものロンドンがそこにはありました。



                    夕闇迫る頃、今度はかねてから予約してあったテムズ川ナイト・クルーズへ。



                    面倒なことに「ドレスコード」があるのです。

                    こういう時、男性はジャケットとネクタイがあれば
                    何とか様になりますが、女性は困ります。
                    私は捨ててもいいつもりで持っていったワンピースを着ました。
                    (まあ、とにかくそれらしく見えればいいや、という気持ちで。)
                    中にはベアショルダーのイブニングドレスや、タキシードの人がいて、
                    「さすが!」と思いました。

                    やがて、夜の帳が落ち始めます・・・。


                    いよいよ船が動き始めました。

                    窓から見える川岸のビルは、船から見られる事を想定しているような
                    イルミネーションが一斉に灯ります。
                    川岸も、灯りのチェーンで華やかに縁どられ、
                    夕闇に沈む建物のシルエットを引き立てています。

                    「あれがテートモダンよ」、「あ、シティだ!」
                    乗客の歓声がワイングラスの響きあう音に混じって
                    聞こえてきます。



                    途中で7つほどの橋をくぐりましたが、
                    どの橋も赤や青、白、黄色、オレンジと、橋ごとに意匠を凝らした照明で飾られ、
                    見飽きることがありません。
                    まるで、ショーを見ているようです。

                     

                    ロンドンをくまなく観光資源として活用しよう、という
                    巧みで貪欲な戦略性を感じてしまいます。

                    東京の隅田川でも、天ぷらの出る屋形船ばかりでなく、
                    こういうクルーズ仕立ての観光船を就航させたら、
                    若い層に受けるだろうなぁ、などと勝手に想像していました(笑)。

                    本当にため息の出るような、ロマンティックなクルーズでした。
                    予約してくれた主人に感謝です。

                    かくて、ロンドンの夏の夜は更けていきました。



                    次回「イギリス旅随想」の最後は「比較文化的考察」をしたためます。








                     
                     
                    posted by: shigemi11 | - | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    イギリス 旅随想―エジンバラからロンドンまで その6
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                      私がイギリスで一番行きたかったところ、それはコッツウォルズ。

                      コッツウォルズは、ほぼイギリスの中央部に位置する標高300mほどの

                      丘陵に広がる一帯で、特別自然美観地域に指定されています。

                      「コッツウォルズ」とは「羊の丘」という意味だそうです。


                      その名のとおり、コッツウォルズは中世から羊毛の交易で栄えていました。

                      現在でも中世のままの建物が随所に残され、

                      おとぎ話の世界に紛れ込んだような錯覚を起こしそうです。

                      中世からの建物は、はちみつ色の石灰岩「コッツウォルズストーン」で

                      作られ、外壁や窓辺を飾る花によく映えています。


                      私たちがコッツウォルズの中で最初に行ったのは、バイブリー。

                      ウィリアム・モリスが「世界一美しい村」と絶賛した場所です。



                      本当に美しい村でした。牧歌的というか、詩的というか、

                      ゆったりした別の時空間なのです。

                      カモの親子が仲良く泳ぐ小川は、清らかに澄んで、

                      水中の藻がまるでダンスをしているように、優雅に揺れています。

                      誰かがミレーの「オフェーリア」の絵に描かれた小川のようだ、と

                      言っていましたが、本当にその通りです。


                      樹齢100年を超えるであろう川辺の柳は、その豊かな枝葉を

                      風に遊ばせています。



                      せせらぎの音を聞きながら、いつまでもここでボーっとしていたい、

                      そんな思いにさせる場所です。

                      川べりのカフェでソフトクリームを食べながら、売店の棚を眺めていました。

                      モリスがデザインした模様をプリントした色とりどりのテーブルセンターが

                      所狭しと並べられています。



                      これは、あの柳の葉をデザインしたに違いありません。

                      今しがた自分が見とれていた、風と戯れるように揺らぐ葉そのままです。

                      100年以上前、モリスもあの柳の木の下で枝葉のダンスを見上げていたのでしょう。



                      でも、一番の売れ筋はこの1枚でした。


                      鮮やかな花と葉の下には、やはり柳が描かれています。


                      名残惜しみながら、次なる場所に向かいました。


                      バーフォード。なだらかな坂道にあるこの街は、歩いてきた道を振り返ると、

                      箱庭のように、丘と街並みがいっぺんに見渡せます。







                      道沿いのお店も花が溢れ、素朴な中にも可愛さが感じられます。

                      あるリネン類のお店の前に小さな黒板が出してありました。

                      見ると、こんな事が書かれています。

                      ”Your husband is calling to buy whatever you want."

                      (ご主人があなたを呼んでいますよ、欲しいものを何でも買っていいって。)

                      なんという素朴なPOPでしょう(笑)。


                      坂道の中腹に、中央分離帯のようなゾーンがあり、

                      そこにベンチがあったので座ってみました。




                      観光客目当てのお店は、外観は可愛いのですが、

                      残念ながら「買いたい」と思う品物はありませんでした。


                      次にボートン・オン・ザ・ウォーター、ストウ・オン・ザ・ウォーター

                      というコッツウォルズ屈指の街に行ってみました。

                      ストウ・オン・ザ・ウォーターは、骨董の街としても有名です。



                      ボートン・オン・ザ・ウォーターは、

                      「オン・ザ・ウォーター」というくらいですから、

                      水辺の景色が素敵でした。


                      町外れ近くに、街全体の20分の一の正確なジオラマパークがあり、

                      行ってみてびっくり。

                      個人の家の庭の置物や植え込み、小屋の動物まで細部にわたって再現してあるのです。

                      「これではプライバシーが丸見えだなぁ」と、

                      彼我の違いにしばし感慨を覚えました。


                      ボートン・オン・ザ・ウォーターの目抜き通りを歩いている時です。

                      濃紺のウールのジャケットを着てステッキを持ち、

                      いかにも英国紳士といった風情のダンディな白髪の老人が

                      私たちに近づいてきてこう言いました。

                      「失礼ですが、あなた方は中国人ですか、それとも日本人ですか?」

                      「日本人です。」と答えると、その紳士は急に目を潤ませ、

                      私たちの手を取って、「おお、おお・・・。」と言ったまま、

                      感慨深げにその場に立ちすくんでしまったのです。


                      一体どうしたのだろう、と困惑してしまいました。

                      紳士はいつまでも私たちの手を放そうとしません。

                      ふと胸元を見ると、色々なバッジや紋章が付いています。

                      その一つにひときわ目立つ軍艦のバッジがあったので、

                      「もしや海軍の退役軍人かしら」と勝手に想像して言いました。

                      「日本の海軍は英国の海軍を見習って作られました。

                      私たちは、とてもあなたのお国に感謝していますよ。」と、

                      日露戦争の頃を思い浮かべて、適当に言ったのですが、

                      紳士はさらに感激したようで、目にうっすら涙を浮かべているではありませんか!


                      当てずっぽうで言ったことがそれほど的外れではなかったので

                      ほっとしましたが、何とかこの場を切り抜けなければ先へ行けません。

                      しばらく感謝の言葉を並べ立てて、ようやく紳士の手をふりほどき、

                      別れを告げました。


                      やれやれ、と再び町並みを歩いていると、

                      あることに気づきました。

                      どの家も小さいのです。

                      建物の高さが低いだけでなく、ドアなどは、どう見ても

                      イギリス人が出入りするには高さがなさすぎです。









                      この写真を見てください。

                      主人は175cm位の身長ですが、ドアは明らかに160cmあるかなしかです。

                      「おかしいね。なんでこんなに低いんだろう。」

                      「小人の家みたいね」などと、家の前で話していると、

                      リチャード・ギアによく似た白髪交じりの中年男性が

                      「どうしたのですか?」と話しかけてきました。


                      「随分ドアが小さいなと話していたんですよ」と言うと、

                      「そうでしょう。実は私たちのおじいさんはこの位しかなかったんです。

                      昔の人は小柄でしたからね。」と言って、

                      本人の肩の高さ、大体165cmあたりに手をかざしました。

                      「でもあなたは今背が高いですよね。サクソン人ですか?」と

                      主人が禁断の質問をしてしまいました。

                      男性は一瞬驚いた顔をしましたが、

                      「そうです。まあ、昔より食べ物が良くなったからでしょうね。」と言って

                      足早に去って行きました。

                      旅はこういう予期せぬ出会いがあるので、面白いですね。


                      色々あったコッツウォルズ紀行でしたが、楽しく幕を閉じました。





                              (つづく)







                       
                      posted by: shigemi11 | - | 16:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |