イギリス 旅随想 ―エジンバラからロンドンへ その3
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    ロスリンから再びエジンバラ市内に戻り、私たちが向かったのは

    ホリールード宮殿。

    エジンバラ城から延びる石畳の道、ロイヤル・マイルの突き当たりの

    小高い場所にあります。バロック様式のこの宮殿は、

    現在エリザベス女王のスコットランドでの夏の居城として使われています。

    ついこの間も、ローマ法王がいらして、女王一行と会談されたとか。

    そうした公の行事がない限り、(全部ではありませんが)内部と庭園は

    一般公開されています。

    室内は撮影禁止ですが、庭園はOKなので、

    さっそく私たちはそばにいたアメリカ人夫婦に撮ってもらいました。






    これは宮殿の入口を飾る紋章。ここから先は撮影禁止。


    ホリールード宮殿といえば、メアリ・スチュワートに触れないではいられません。

    前日,市内でミリタリータトゥーという軍楽隊のフェスティバルに遭遇しましたが、

    そのプログラムにも1ページ大のメアリ女王の肖像画の写真が載っていました。

    MARY, Queen of Scots(メアリ、スコットランド人の女王)として。


    スコットランドの人にとって、女王はエリザベス2世ではなく、

    16世紀になくなったメアリ・スチュワートなのですね。



    (これはメアリ、13歳の肖像画。可愛いです。)


    メアリ・スチュワートは15歳でフランス王フランソワ2世に嫁ぎますが、

    夫の死によって、わずか18歳で未亡人になってしまいます。

    その後、スコットランドに戻り、

    22歳の時、従兄弟のダーンリー卿と結婚します。

    最初はダーンリー卿に惹かれたメアリでしたが、

    いざ結婚してみると彼の独善的で虚栄心の強い不安定な性格が分かり、

    急速にふたりの関係は冷えていきます。

    そんな中、孤独なメアリの心を癒してくれたのは

    イタリア人の秘書リッツオでした。


    1566年のある日のこと、

    メアリが寝室の奥にある「隠れ部屋」でリッツオと食事をしていました。

    すると、ダーンリー卿がいきなり武装した貴族数人とともに

    入ってきたではありませんか。

    彼らはリッツオを部屋の外に連れ出すと、メアリの目前で

    メッタ刺しにしました。剣の刺したあとは全部で57箇所もあった

    と言われています。

    この惨劇の3ヶ月後にメアリは男の子を出産します。

    それがジェイムズ6世です。

    ダーンリー卿は、「リッツオの子だ」と疑ったそうですが、

    メアリは否定し続けました。


    宮殿内のメアリの寝室は急な狭い階段を昇っていった先に

    ありました。

    寝室の入口付近はどう見ても幅が80センチ以下。

    当時の重たい衣装で毎日ここまで昇ってくるのは

    結構大変だったことでしょう。

    部屋自体はそれほど広くもなく、思いのほかベッドも小さなものでした。

    その寝室の奥に、リッツオ殺害の現場があるのです。

    4畳半位の粗末な部屋で、豪華な調度などは何もありません。

    まるで納戸のようです。

    メアリはこんな所でしか、心が安らがなかったのでしょうか。


    しかし、そのダーンリー卿もやがて何者かに殺され、

    メアリは後見役の叔父に利用されたりしながら、

    逃亡生活を続けます。

    結局、メアリは7歳年上の従姉妹、エリザベス1世に助けを求めます。

    エリザベスは最初は彼女を快く受け入れ、

    メアリにやっと心安らかな生活が訪れました。


    ところが、です。

    10数年間穏やかに暮らしていたメアリに、

    突然「エリザベス女王暗殺計画」に加担した、という嫌疑がかけられ、

    優雅な生活から一転してロンドン塔に幽閉されてしまうのです。

    元々メアリは、王の庶子であるエリザベスよりも、

    王の嫡子である自分の方がイングランドの王にもふさわしい、と

    考えていました。

    その考えに基づいて、兵を動かしたこともあります。



    そういう経緯があるので、如何に抗議しても通るはずもなく、

    メアリは斧による斬首という残酷な処刑を受けました。

    最後の瞬間まで女王としての威厳を失うことのない、

    見事な態度だったそうです。

    メアリのデスマスクが残っていますが、

    とても惨殺された人の顔には見えない、安らかな顔です。


    やがて、メアリを処刑したエリザベス1世が70歳で亡くなります。

    独身を貫き、後継者のいない彼女でしたが、晩年、

    メアリの遺児であるスコットランド王ジェイムズ6世に、

    イングランド王位継承をほのめかす書簡を送っており、

    その意を受けた宰相セシルも、実はジェイムスと

    密かに継承の準備を整えていました。


    エリザベス女王の崩御直後、ロンドンから特使がスコットランドに飛び、

    ジェイムズ6世にイングランド王位継承決定を報告しました。


    イングランド王ジェイムズ1世の誕生です。


    1603年3月24日、この日をもって

    スコットランドとイングランドは同一国王を戴く連合王国となりました。

    ですから、現在のエリザベス2世は、エリザベス1世の血筋ではなく、

    1世が処刑したメアリ・スチュワートの血を受け継いでいるのです。

    まさに歴史の皮肉ですね。


    ホリールード宮殿は、こうしたバックストーリーを頭に入れていないと、

    その価値が見えてきません。



    宮殿を出ると、裏手に修道院跡がありました。

    こちらは宮殿よりも古く、この修道院があったために

    宮殿がここに建てられたそうです。



    宮殿の裏手に広がる丘陵。

    夏にここで女王主催のガーデンパーティがあるそうです。




    重い歴史を引きずるホリールード宮殿を出ると、出口のすぐそばに

    クイーンズギャラリーというショッピングセンターがありました。

    どの商品にも同じタグが付いています。



    「これは何ですか?」とスタッフに聞くと、

    「これは女王の紋章です。」という答えが返ってきました。

    日本の皇室と違ってそれぞれのお方が「自分の紋章」を持っているそうです。

    エリザベス女王は獅子と一角獣があるもの、

    夫君のエジンバラ公は、原始人(?)がいる、とても変わった紋章です。

     

    左がエリザベス女王、右がエジンバラ公の紋章です。

    現王室の配偶者が「エジンバラ」公というのも、意味深いものを

    感じます。

    「連合王国」である以上、常にイングランドはスコットランドを

    包括している、という意識を内外に示さなくてはいけないのでしょう。


    宮殿を出て、再びエジンバラ市街に出ると、

    街はまだ「フリンジ・フェスティバル」のさなかで、

    至る所で国籍もジャンルも様々なパフォーマンスが

    繰り広げられていました。



    さあ、明日からイングランドに入ります。


                          (続く)





    posted by: shigemi11 | - | 17:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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