バリ、キラキラの島を訪ねて  その3
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    バリでよく見かける花

    前回から7ヶ月経過!(汗)

    春のお彼岸も過ぎ、お盆も暑い夏も終わりかけ、もうすぐ秋のお彼岸が来るというのに、
    私は(忙しさにかまけて)新年の記事を書き終えていない・・・。
    本当に、本当に、恥ずかしい限りです。
    私の方がキラキラ(バリ語でテキトー、だいたい、という意味)してしまいました。

    さて、7ヶ月ぶりの続きといきましょうか(テレ隠しにちょっと開き直っています)。


    前回、つまりバリ紀行の2回目では、紗綾形文様や獅子舞そっくりのバロンなど、
    「比較文化的な視点」でバリ文化を見てみました。
    今回は、日本人から見た驚きの風習とその背景に触れてみましょう。


    私たちが目的地に向かう途中、道路沿いに森の一部が大きく削られ、
    こげた木片が散乱している場所がありました。
    「あれは何?」とガイドに聞くと、
    こともなげに、「火葬場ですよ」と返事が帰ってきました。

    バリの森はこんな感じ。(ここは火葬場ではありません。)

    「え? 火葬場? 野外で? 骨はどうするの? お墓はどこ?」などなど
    あふれる疑問を察知したかのように、ガイドが口を開きました。

    「バリにはお墓はありません。まあ、大統領のようなえらい人は立派なお墓を作りますが、
    私たち一般人は、家族が死ぬと森で遺体を焼いて、骨を海に捨てます。
    そして魂だけを持ち帰って祭壇に祀るんですよ。」
     
    お墓がない!
    これは結構なカルチャーショックでした。

     
    そういえば、レンボンガン島に行ったとき、島に一つしかない診療所の隣が共同墓地でしたが、
    あれは墓地というより、「遺体安置所」なのだそうです。
    バリではお葬式に大変費用がかかる(日本でもそうですが)ので、
    手元不如意の遺族は費用を調達しなければなりません。
    それまでの間、共同墓地に埋めておくのです。
    日本のように遺体を冷凍保存することのできないバリでは、
    地中に保管しておくのは合理的なことです。一種の生活の知恵ですね。
     

    私は、バリの人が余り海で遊ばないわけが分かるような気がしました。
    現地の人は海を見ながら男同士が談笑していたり、
    あるいは魚を獲ったりしますが、けっして中に入って遊ばないのです。
    先祖の骨を撒いた海で、遊ぶ気にはなれないのでしょう。
     
    海で散骨をする彼らにとっては、海こそが「墓地」なのです(墓海というべきか)。

    美しいレンボンガン島の海。現地の人にとっては「墓地」でもあります。
    (だからバリでは「聖地」は海と対極の山にあるのでしょうね。)
     

    家庭の祭壇についても面白いことを聞きました。
    どの家庭にもある祭壇は上中下と、三段に分かれているそうです。
    一番上はヒンドゥーの神様、2番目は先祖、そして3番目は何と悪霊を祭っています。
    信心深いバリの人は、毎朝これらの祭壇に果物や花などのお供えを欠かしません。
    しかし、「悪霊を祀る」というのは、理解に苦しみます。

     
    「???」という顔をしていると、すかさず(カンのいい)ガイドが説明を始めました。
    「悪霊は放っておけば悪いことをするでしょ。だからお祭りして、お供物を上げて、
    悪いことをしないでください、とお願いするのです。
    日本語でもあるでしょ、『手懐ける』って。」
    実に日本語の達者なガイドで、本当に助かります(笑)。
    確かに、理にかなっていますね。

     
    それから、「水上の寺院」として有名なブラタン寺院に行った時のこと。
    寺院の入口を見て思わずにっこりしてしまいました。

    ブラタン寺院の入口にあったもの

     
    なんと、ヒンドゥーの聖地に「クリスマスツリー」があるのです!(笑)。
    おおらかですね。こういう感性は日本と似ているなと思いました。


    本来多神教であるヒンドゥー教は、異教文化に極めて寛容です。
     
    しかし、インドネシア建国時に定めた国家理念の五原則のうち、
    第一原則が「唯一至高神の信仰」となっているのです。
    つまり多神教を禁じられ、一神教の信仰が国民に義務付けられたのです。
    ヒンドゥーの長老達は困りました。
    彼らは会議を重ね、次のように教義を変更したのです。


    「昔からあったヴィシュヌ、ブラフマ、シヴァの三神は、
    唯一神サン・ヤン・ウディの三体の化身である」

     
    こうして、バリ・ヒンドゥーは(インドのヒンドゥーと違い)、
    多神教から、唯一神サン・ヤン・ウディを信仰する一神教へと姿を変えました。
    けれども、人々の生活や毎日の宗教儀礼は変わっていません。
    昔からのやり方を守っています。
    そのさまは、本音と建前を使い分けるしたたかさ、というより、
    バリ人特有の「キラキラ性」がプラスに働いた結果、
    おっとりと変化に対応しているかのように見えます。

     
    バリ島には、白と黒の市松模様の布を巻かれた樹木や置物、建物がよく目につきます。

    裕福そうな民家の入口。どこも建物は立派でも、門が狭い。
    悪霊が入りにくくするため、わざと狭くしてるそうです。


    これは、善(白)と悪(黒)はともに宇宙を構成する要素であり、
    両者がバランスよく存在することで世界が平和に収まる、
    というバリ・ヒンドゥー特有の宇宙観を表しています。
     
    この素晴らしいバランス感覚が身についているせいか、
    バリの人々には、人懐っこさと、不思議な物静かさが同居しています。
    そして何よりも、だいたい、まあまあ、テキトー、という「キラキラ性」が
    対立よりも調和を好むバリ人を作り上げているのでしょう。

     
    リピーターが多いのも頷けます。
    初めてなのに、なぜか懐かしいバリでした。
    posted by: shigemi11 | - | 18:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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