幸徳秋水が「命の恩人」?
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    実家の食器棚の奥深くに、ひっそりとしまってある盃があります。

    花か果物の枝の下に「除隊記念」の文字と大砲が描かれ、

    さらにその下に「野砲二」と苗字が描かれています。

    兄がこの盃にちなんだ父のエピソードを話してくれました。


    招集された父は仙台の野砲兵第2連隊に属していました。

    ある夜のこと、憲兵と伍長が密かに父を起しに来ました。

    「話がある。外へ出ろ。」と、憲兵は険しい顔つきで言ったそうです。

    言われるままに父は兵舎の外に連れ出されました。

    そこで憲兵がおもむろに取り出したものは・・・。


    何と幸徳秋水の「社会主義神髄」の文庫本だったのです!

    憲兵が重苦しい表情で口を開きました。

    「貴様の家からこんなものが送られてきた。どういうことだ。」


    父は、最初は意味が分かりませんでしたが、思い出しました。

    父の実家に「どんな本でもいいから送って」と手紙を出したことがあったそうです。

    それを読んだ家族が父の本棚から適当に抜いて送ってきたのが

    幸徳秋水の本だった、という訳です。

    憲兵はますます表情を険しくしながら言いました。

    「帝国陸軍の兵士がこともあろうにアナーキストの本を兵舎で読んでいるなどと知れたら、

    貴様や自分はもちろん、連隊長殿の首も飛ぶ。事の重大さが分かっているのか!」

     (幸徳秋水「社会主義神髄」)

    一緒に来た伍長は、ただおろおろして、

    「自分は農家の三男坊で、食うや食わずの生活をしていた。

    軍隊に入ってやっと三度の飯をちゃんと食べられるようになり、

    伍長にまで出世したのに、こんなことが発覚したら、自分は、自分は・・・」と

    言い終わらないうちに泣き出してしまったそうです。


    困った憲兵は、しばらく考えた挙句、こう言いました。

    「いいか、今度の件はなかったことにする。この本は自分と伍長が責任をもって処分する。

    そして貴様は思想犯として、重営倉入りとする。」


    こうして父は重営倉に入りました。つまり軍隊の刑務所です。

    こういう不埒な(笑)兵士は対して出世もせず(伍長どまり)、

    戦地に送られることもありませんでした。

    無事除隊した記念に作ったのが冒頭の盃という訳です。


    ネットで調べたところ、野砲兵第2連隊はハルピンやノモンハンに行ったり、

    ガダルカナル島奪回作戦にも参加しています。

    熾烈をきわめたガダルカナル島からは昭和18年に撤退し、

    ブーゲンビル島、フィリピン、ビルマ、そしてインドシナへと転戦し、

    そこで終戦を迎えています。


    もし、父が重営倉に入るような「思想犯」(!)でなければ、

    父もガダルカナルやインドシナで戦っていたかもしれません。

    場合によっては戦死の可能性もあったでしょう。

    だとすれば、戦後、兄や私や弟は生まれていませんでした。


    もし父の実家が幸徳秋水の本を送って来なかったら、

    父は一体どうなっていたのでしょう。

    命の不思議さ、縁の不思議さを思わずにはいられません。

    秋水と、度量ある憲兵さんに感謝です。

     (宮城県美術館 野砲兵第2連隊跡地の記念碑)
    posted by: shigemi11 | - | 18:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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