イギリス 旅随想 ―エジンバラからロンドンまで その5
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    私たちのロンドンの宿泊先。ル・メリディアン・ロンドン。

    5つ星ホテルです。格式とモダンが調和した居心地のよいホテルでした。

    何よりも交通便利なのがいいです。

    歩いて1、2分で地下鉄ピカデリー駅、

    ボンドストリート、オックスフォードストリート、コヴェントガーデンまで、

    いずれも徒歩10分。目の前があのフォートナムアンドメイソンです。 


    私たちがここを選んだのは交通アクセスの良さから。

    ここを起点に出かけるためです。


    そこで、市内観光もそこそこに、

    さっそくソールズベリー経由でストーンヘンジに行くことにしました。


    ソールズベリーといえば大聖堂。



    ここには現存する3つのマグナカルタの写本のうち、

    一番状態の良いのが保存されているそうです(もちろん非公開)。

    中も素敵。



    ソールズベリーは街の雰囲気も落ち着いています。



    写真には写っていませんが、街の要所要所に大きなハンギングフラワーがあり、

    川には古い石橋がかかり、街のどこにいても大聖堂の尖塔が見え、

    中世の風情を残す町並みでした。


    そんな中にTESCOとか、スーパーがあったりして、

    その違和感が面白かったです。


    さて、ソールズベリー駅からストーンヘンジ行きのバスに乗りました。

    ソールズベリーから北西に13キロの場所ですが、

    ほとんど我々のようなツーリストばかりで、

    二階までびっしり埋まってしまいました。



     

    ソールズベリー市街を出て、

    建売住宅のような、同じような家が立ち並ぶ郊外の住宅街を抜けると、

    なだらかな麦畑がどこまでもどこまでも続きます。

    極めて単調です。

    「ミステリーサークルでも描きたくなるなぁ」と

    思わず独り言を言ってしまいました。

    隣の席では主人がこっくりこっくりと船を漕いでいます。


    やがて、麦畑が緑の草原に変わりました。


    いよいよストーンヘンジに近づいてきました。

    遠目にもそれらしいものが。

    それと、アリのようは長蛇の列が!!




    受付で各国語のガイド付きイヤホンが無料で使えます。

    早速日本語のイヤホンガイドを持って列に並びました。


    ストーンヘンジは、トリトンと呼ばれる組石を中心に

    直径約100mほどの円形に、メンヒルという立石が配置されています。

    この石群は紀元前2500年から2000年のあいだに建造されたと推定されますが

    それを囲む土塁と堀は紀元前3100年まで遡るそうです。


    つまり、ローマ人が入る前、アングロ・サクソン人が入る前に、

    すでにストーンヘンジが存在していたわけです。

    遺跡自体の情報はネットで検索できるので、

    ご興味のある方はそちらで検索してみてください。


    私がストーンヘンジでまず感じたのは、

    「あれ、この雰囲気どこかと似ている」ということでした。

    ウィンダミアのストンサークルでも感じたのですが、

    現在のように周囲が囲まれる前、

    何もない広い野原にどん!と立っていた頃の、飛鳥の石舞台の

    雰囲気に似ているのです。


    ストーンヘンジの周辺は、人をリラックスさせる空気が

    ゆったりと流れていました。

    長蛇の列から解放されてストーンヘンジまで辿りついた人は、

    誰も穏やかで、くつろいだ表情をしているのです。

    周囲の草原に寝転んだり、ベンチで昼寝をしたり、

    子供がはしゃぎまわったり、と和やかな雰囲気で満たされているのです。

     

    私たち夫婦もかなり長時間ベンチに座ってぼーっとしていました。

    そのうちエネルギーがチャージされたのか、はしゃぎたくなるから不思議です(笑)。

    パワースポットが苦手な私ですが、

    ここはプラスのエネルギーが溢れているのかもしれません。


    リラックスしたいい気分で戻ってくると、土産物屋のおじさんが、

    「あんた達、運がいいね。ここは1週間のうち4日は曇りか雨なんだ。

    昨日も降っていたよ。」と声をかけてくれました。

    ますますいい気分になり、バスに乗って再びソールズベリーに向かうことに。

    途中、オールドセラムという遺跡があるので、

    「どんな所か行ってみよう」と、降りたのですが、

    近づくに連れ、主人も私も体が重くなってきたのです。

    理由は分かりません。

    ストーンヘンジでもらったエネルギーが枯渇するような感じです。


    ここは、もともと11世紀に城砦や大聖堂が建てられ

    周辺に人が居住していた円形の城砦都市でした。

    13世紀に大聖堂がソールズベリーに移転したあと

    廃墟になったのです。


    ちょっと小高い丘になっていて、ソールズベリーの街を

    一望できるらしいのですが、丘を登っているうち、

    二人とも気持ちまで重くなってきたので、

    引き返しました。

    あれはいったい何だったのだろう、

    と今でも理由が分かりません。


    ともあれ、ソールズベリーに戻り、

    列車でロンドンに戻りました。


           (つづく)









    posted by: shigemi11 | - | 18:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    イギリス 旅随想―エジンバラからロンドンまで その4
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      さて、翌日はエジンバラからマンチェスター行きの特急に乗り、

      途中オクスンホルムで乗り換えてウィンダミアに向かいました。

      いよいよスコットランドからイングランドに入ります。

      車窓から見える景色が急に牧歌的になりました。


      緑の草原に細かな紙くずのような白い粒粒が散らばっています。

      よくみると、羊でした。

      のどかな風景を楽しんでいるうち、ウィンダミア駅に到着。


      ウィンダミアは明媚な風光とお洒落な町並みで、

      国内外で人気のスポットです。

      リタイアした富裕層が来るせいか、

      「地代も物価も高くて」とタクシーの運転手がこぼしていました。



      ウィンダミアは、日本で言えば軽井沢のような感じの保養地です。

      町並みはどこをとっても絵になります。

      高価でお洒落な洋服や、アクセサリーのお店が多く、

      その前にリゾートウェアを着た滞在客らしい女性達が群がっていました。


      街のざわめきから少し離れたところが私たちのホテルです。



      貴族の館みたいでしょう(笑)。

      築150年の館で、手入れが行き届いた庭には緑があふれ、

      室内も華美な装飾はありませんが、

      上品で落ち着いた佇まいです。



      (これはテラス。ここまで食事を運んでくれます。)



      (室内。主人はここが気に入り、夜になると暖炉のそばでPCをいじっていました。)

      さすが三ツ星ホテル。

      スタッフもフレンドリーで、洗練されています。

      あまり居心地がいいので、午後はどこにも出かけず、

      ホテル内をぶらぶらしたり、おいしい食事を楽しんで過ごしました。

      ホテルの水道水も、柔らかくておいしく飲めました。


      さて、ゆっくり英気を養った翌日は、早朝から湖水地方へ。

      この辺はローマ時代からの建造物があります。

      この橋も、1300年前、ローマ人が建造したものです。



      ほとばしる水も綺麗です。

      (それでも主人は「日本の水のほうが澄んでいるな」と、チクリ。)

      あたり一帯に広がる田園風景は、本当にピーターラビットがひょっこり

      顔を出してもおかしくない位、ポター女史の絵本そっくりです。


       

      広告の看板ひとつないこの風景は、しかし、ナショナルトラストという、

      民間のボランティア組織によって維持されているのです。

      「自然」を自然のままに維持しようとする、

      英国人の強固な意思をそこに感じないわけにはいきません。


      ナショナルトラストは、19世紀末に司祭ら3人で、

      歴史的建造物や自然の保護を目的に設立されました。

      「ピーター・ラビット」の作者、ビアトリクス・ポター女史が、

      この湖水地方の土地をナショナルトラストに託したため、

      私たちは現在も昔ながらの風景を楽しむことができるのです。

      この広大な土地を購入したポター女史の財力と見識に

      限りない敬意を払いつつ、寄付でこの組織が維持され続けていることに

      私は素直に感心してしまいました。


      湖水地方といえば、ワーズワース。

      彼の「水仙」の詩を思い出します。

      彼が住んだ家も近くにありました。

      彼がよく通った教会の中庭が "Daffodil Garden"として一般公開されています。



      ("Daffodil Garden"の入口。手前のピンクの帽子は私です。)

      一帯はワーズワースやカーライルなど、いかにもロマン派が好みそうな

      景観に溢れています。



      (教会の横から、”Daffodil Garden"の前を流れるせせらぎ。左にあるカフェから

      せせらぎを見下ろすと、清らかな流れに魚が見えます。時間がゆっくり流れている

      空間でした。)


      さて、いよいよ湖水地方の入口ともいうべきケズウィックに辿りつきました。



      ここはちょうど湖水地方の要となる場所で、街も賑わっています。



      ケズウィックは(大体イギリスはそうですが)街の要所要所に

      ハンギングフラワーが飾られ、窓辺にも色鮮やかな花があり、

      歩くだけでも楽しい街です。

      お昼時はどこのお店も観光客で溢れかえり、

      なかなか目当てのお店に入れませんでした。

       

      この辺には「カンブリア」という地名がある事からも分かるように、

      地質的には氷河時代に遡る地域です。

      ですから、ローマ人が来る前から栄えた文明がありました。

      このストーンサークルもその一つです。

      飛鳥の石舞台を彷彿とさせる遺跡で、そばにいると

      何故か気分がおおらかになってリラックスしてきます。

      訪れた人達もほんわかした顔をしています。

      私たち夫婦もそれぞれ写真を撮りました。

      ポーズに二人の性格が現れていますね(笑)。



      ウィンダミア、グラスミア、など、「ミア」はケルト語で「水」や「湖」を

      表すそうです。

      そのウィンダミア湖で、クルーズを楽しみました。



      船上からパチリ。

      とにかく天候が変わりやすい。晴れたと思ったら雨が降り出し、

      レインコートを着て歩き始めるとやむ、その繰り返しです。



      丘の上からの絶景。

      雄大です。ナショナルトラストのおかげで、看板等、人工的なものは

      一切ありません。この管理能力はすごいです。



      おそらくは氷河が削った跡なのでしょう。

      カール状に刳られた地形に丈の低い草が生えており、時たま山羊が通るのか、

      草むらのあちこちに山羊の糞が落ちていました。


      湖水地方。

      イギリスの誇る景勝地でした。

      その美しい自然を丸一日堪能した私は、

      ふと、ある錯覚に襲われました。

      「手付かず」の自然のはずなのに、

      なぜかそこに「人工的なもの」を感じてしまうのです。


      自然は変化していきます。

      その変化を食い止め、いつまでも美しいまま保とうとする試み自体が、

      実は不自然なのかもしれません。


      でも、今は国のドル箱観光地(笑)。

      湖水地方はこれからも美しく「管理されつづける」ことでしょう。


               (つづく)

















      posted by: shigemi11 | - | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      イギリス 旅随想 ―エジンバラからロンドンへ その3
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        ロスリンから再びエジンバラ市内に戻り、私たちが向かったのは

        ホリールード宮殿。

        エジンバラ城から延びる石畳の道、ロイヤル・マイルの突き当たりの

        小高い場所にあります。バロック様式のこの宮殿は、

        現在エリザベス女王のスコットランドでの夏の居城として使われています。

        ついこの間も、ローマ法王がいらして、女王一行と会談されたとか。

        そうした公の行事がない限り、(全部ではありませんが)内部と庭園は

        一般公開されています。

        室内は撮影禁止ですが、庭園はOKなので、

        さっそく私たちはそばにいたアメリカ人夫婦に撮ってもらいました。






        これは宮殿の入口を飾る紋章。ここから先は撮影禁止。


        ホリールード宮殿といえば、メアリ・スチュワートに触れないではいられません。

        前日,市内でミリタリータトゥーという軍楽隊のフェスティバルに遭遇しましたが、

        そのプログラムにも1ページ大のメアリ女王の肖像画の写真が載っていました。

        MARY, Queen of Scots(メアリ、スコットランド人の女王)として。


        スコットランドの人にとって、女王はエリザベス2世ではなく、

        16世紀になくなったメアリ・スチュワートなのですね。



        (これはメアリ、13歳の肖像画。可愛いです。)


        メアリ・スチュワートは15歳でフランス王フランソワ2世に嫁ぎますが、

        夫の死によって、わずか18歳で未亡人になってしまいます。

        その後、スコットランドに戻り、

        22歳の時、従兄弟のダーンリー卿と結婚します。

        最初はダーンリー卿に惹かれたメアリでしたが、

        いざ結婚してみると彼の独善的で虚栄心の強い不安定な性格が分かり、

        急速にふたりの関係は冷えていきます。

        そんな中、孤独なメアリの心を癒してくれたのは

        イタリア人の秘書リッツオでした。


        1566年のある日のこと、

        メアリが寝室の奥にある「隠れ部屋」でリッツオと食事をしていました。

        すると、ダーンリー卿がいきなり武装した貴族数人とともに

        入ってきたではありませんか。

        彼らはリッツオを部屋の外に連れ出すと、メアリの目前で

        メッタ刺しにしました。剣の刺したあとは全部で57箇所もあった

        と言われています。

        この惨劇の3ヶ月後にメアリは男の子を出産します。

        それがジェイムズ6世です。

        ダーンリー卿は、「リッツオの子だ」と疑ったそうですが、

        メアリは否定し続けました。


        宮殿内のメアリの寝室は急な狭い階段を昇っていった先に

        ありました。

        寝室の入口付近はどう見ても幅が80センチ以下。

        当時の重たい衣装で毎日ここまで昇ってくるのは

        結構大変だったことでしょう。

        部屋自体はそれほど広くもなく、思いのほかベッドも小さなものでした。

        その寝室の奥に、リッツオ殺害の現場があるのです。

        4畳半位の粗末な部屋で、豪華な調度などは何もありません。

        まるで納戸のようです。

        メアリはこんな所でしか、心が安らがなかったのでしょうか。


        しかし、そのダーンリー卿もやがて何者かに殺され、

        メアリは後見役の叔父に利用されたりしながら、

        逃亡生活を続けます。

        結局、メアリは7歳年上の従姉妹、エリザベス1世に助けを求めます。

        エリザベスは最初は彼女を快く受け入れ、

        メアリにやっと心安らかな生活が訪れました。


        ところが、です。

        10数年間穏やかに暮らしていたメアリに、

        突然「エリザベス女王暗殺計画」に加担した、という嫌疑がかけられ、

        優雅な生活から一転してロンドン塔に幽閉されてしまうのです。

        元々メアリは、王の庶子であるエリザベスよりも、

        王の嫡子である自分の方がイングランドの王にもふさわしい、と

        考えていました。

        その考えに基づいて、兵を動かしたこともあります。



        そういう経緯があるので、如何に抗議しても通るはずもなく、

        メアリは斧による斬首という残酷な処刑を受けました。

        最後の瞬間まで女王としての威厳を失うことのない、

        見事な態度だったそうです。

        メアリのデスマスクが残っていますが、

        とても惨殺された人の顔には見えない、安らかな顔です。


        やがて、メアリを処刑したエリザベス1世が70歳で亡くなります。

        独身を貫き、後継者のいない彼女でしたが、晩年、

        メアリの遺児であるスコットランド王ジェイムズ6世に、

        イングランド王位継承をほのめかす書簡を送っており、

        その意を受けた宰相セシルも、実はジェイムスと

        密かに継承の準備を整えていました。


        エリザベス女王の崩御直後、ロンドンから特使がスコットランドに飛び、

        ジェイムズ6世にイングランド王位継承決定を報告しました。


        イングランド王ジェイムズ1世の誕生です。


        1603年3月24日、この日をもって

        スコットランドとイングランドは同一国王を戴く連合王国となりました。

        ですから、現在のエリザベス2世は、エリザベス1世の血筋ではなく、

        1世が処刑したメアリ・スチュワートの血を受け継いでいるのです。

        まさに歴史の皮肉ですね。


        ホリールード宮殿は、こうしたバックストーリーを頭に入れていないと、

        その価値が見えてきません。



        宮殿を出ると、裏手に修道院跡がありました。

        こちらは宮殿よりも古く、この修道院があったために

        宮殿がここに建てられたそうです。



        宮殿の裏手に広がる丘陵。

        夏にここで女王主催のガーデンパーティがあるそうです。




        重い歴史を引きずるホリールード宮殿を出ると、出口のすぐそばに

        クイーンズギャラリーというショッピングセンターがありました。

        どの商品にも同じタグが付いています。



        「これは何ですか?」とスタッフに聞くと、

        「これは女王の紋章です。」という答えが返ってきました。

        日本の皇室と違ってそれぞれのお方が「自分の紋章」を持っているそうです。

        エリザベス女王は獅子と一角獣があるもの、

        夫君のエジンバラ公は、原始人(?)がいる、とても変わった紋章です。

         

        左がエリザベス女王、右がエジンバラ公の紋章です。

        現王室の配偶者が「エジンバラ」公というのも、意味深いものを

        感じます。

        「連合王国」である以上、常にイングランドはスコットランドを

        包括している、という意識を内外に示さなくてはいけないのでしょう。


        宮殿を出て、再びエジンバラ市街に出ると、

        街はまだ「フリンジ・フェスティバル」のさなかで、

        至る所で国籍もジャンルも様々なパフォーマンスが

        繰り広げられていました。



        さあ、明日からイングランドに入ります。


                              (続く)





        posted by: shigemi11 | - | 17:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        イギリス 旅随想 ―エジンバラからロンドンまで  その2
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          これが、私たちがそばまで行ったものの、行くのを断念したエジンバラ城です。

          灰色混じりの緑のコケのような植物に覆われた部分は、下から見上げると

          かなりの迫力です。

          エジンバラの人は、毎日これを見ているのですよね・・・。



          ともあれ、翌日はまずロスリン礼拝堂へ。

          そう、「ダ・ヴィンチコード」で有名になった、

          あのロスリン礼拝堂です。


          実は、私はこういうパワースポット的な場所は苦手なのです。

          その場のエネルギーによって、体調が崩れたり

          精神的に不安定になったりするので、できれば寄りたくありません。

          ところが主人ときたら、「パワースポット大好き人間」なのです(笑)。

          今回も主人のたっての希望で行くことになりました。



          まず、ウィンブリー駅近くからバスに乗ります。

          どのバスも映画や食べ物などの派手な広告が車体に施され、

          それを見ているだけでも結構楽しく、待ち時間も苦になりませんでした。

          バスに乗り、エジンバラの市街地を抜けると、石造りの小奇麗な一軒家が

          立ち並ぶ一帯を通ります。

          どの家も張り出し窓やサンルームがあり、

          薄い日差しを少しでも取り入れようとする工夫が伺えました。

          エジンバラから南へバスで約30分。

          ようやくロスリンの村に到着です。



          (「何だか陰気・・・」と心の中でつぶやく私)


          ロスリン礼拝堂は15世紀の半ばに、スコットランドの貴族、

          ウイリアム・シンクレアによってシンクレア家の私的礼拝堂として

          建てられました。確かにこじんまりとしています。

          ウイリアム・シンクレアはテンプル騎士団に属し、フリーメイソンの

          メンバーだったと言われています。

          そのせいか、ビジターセンターのお土産物売り場には、

          十字架やフリーメイソンのマークを模したキーホルダーが沢山置かれていました。



          正面のギザギザの十字架はシンクレア家の家紋だとか。

          すごいのは建物の内外を覆う彫刻の数々です。



          聖書から題材を得たものがほとんどで、砂岩という柔らかい材質のせいか、

          実に精緻に彫られています。

          壁から飛び出している動物のようなものは「ガーゴイル」といって

          雨水を落とす排水口です。



          面白いのは、至る所にケルトの豊穣の神である「グリーンマン」が

          彫られていることです。全部で100以上あるそうです。

          バグパイプをもつ天使、王の心臓を抱えた天使、墜落したルシファー、

          ケルト由来の文様など、メイソン(石工)たちが腕を競ったであろう

          見事な彫刻が、天井、壁、柱と、会堂一面を埋め尽くしているさまは壮観です。

          しかし何故、異教であるケルト神やケルトの文様が多いのでしょう。

          そのケルト文様も、街で見かけた「タトゥー」の模様にどことなく

          似ています。


          侵略され、破壊されながらも、ケルト文化はキリスト教文化の中に

          取り入れられ、今に伝わっているのでしょうか。

          スコットランドの文化の複雑さを垣間見る想いがしました。


          珍しく夏を感じさせる、眩しい日差しではありましたが、

          何故か、ここは雰囲気が暗く感じられてなりません。

          写真を撮ろうとしてふと足元を見ると、石が。

          磨り減った文字がうっすらと見えます。

          「わっ!お墓!!」

          芝生の合間の平らな所は、みなお墓でありました。

          でも、他の観光客は平気で踏んで歩いています(笑)。

          文化の違いでしょうか。



          何だか体がだるくなってきた私は、早く出たかったのですが、

          その瞬間、「はい、そこに立って!」と主人の声が。

          とりあえず芸もなく佇んでいるところをパチリ。



          ロスリン礼拝堂は今でもただの観光施設ではなく、

          定期的にミサが挙げられ、冠婚葬祭が行われるworking churchです。

          葬祭はともかく、私はここで結婚式を挙げる気にはなれませんが・・・。



          結構な時間をロスリンで過ごすうち、すでに日は中天に。

          お腹がすいたので、バス停近くのパブで、

          エールと定番のフィッシュ・アンド・チップスを頂きました。



          少し疲れが出て、元気なく笑う私。


          そして、再びエジンバラの市街地へ。

          午後からは、エリザベス女王のスコットランドの居城、

          ホリールード宮殿を目指します。

            

                                  (続く)











          posted by: shigemi11 | - | 16:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          イギリス 旅随想 ―エジンバラからロンドンまで  その1 
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             夏休みを利用して、夫婦でイギリスに行ってきました。

            オランダのスキポール空港からエジンバラまでは

            1時間のフライトですが、時差は2時間。

            現地時間で3時少し前にエジンバラ到着。

            とりあえずホテルに荷物を置いて、市中に繰り出すことに。


            ところが、「ハ〜イ!」とやってきたタクシーの運転手の

            左腕を見て、びっくり。

            手首までびっしりとタトゥーが入っているのです。


            その後、市中に出てからも、

            太ももの内側にタトゥーを入れた若い女性、

            意味不明の漢字を二の腕に入れた青年、

            錨のような模様を腕に入れたおじいさん、

            とかなり頻繁にタトゥーを入れた人を見ました。

            見れば、日本で言えば理髪店のような感じで、

            Tatoo salonがあちこちにあるのです。

            格式ある古い街並みに何だか似つかわしくありません。

            「変わった街だこと。」

            これが私たちのエジンバラ第一印象でした。



            ともあれ、エジンバラはスコットランドの首都です。

            こういうと「は?」と首をかしげる人がいます。

            イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドと

            いう「国」が連合している王国です。

            ですから首都があって当然なのです。

            もちろん「国旗」もあります。

            スコットランドは青字に白の斜め十字です。

            イングランドは白地に赤の十字、アイルランドは白地に赤の斜め十字。

            この3つの国旗が合わさって「ユニオンジャック」になります。

            旗は「ユニオン」(=連合)ですが、

            当然ながらそれぞれの国は「腹の中では」決して連合していません。


            とりわけ、スコットランドは昔からイングランドの度重なる侵入に

            抵抗して戦ってきた歴史があります。

            18世紀の半ばにも大規模な独立運動があり、

            イングランドへの反抗心(や対抗心)は半端ではありません。


            それは遠い過去の話ではなく、現在も続いているように感じました。

            街にはどこも「スコットランド魂」が横溢しています。

            街のほぼ中心に、スコットランドが生んだ大詩人、

            サー・ウォルター・スコットの銅像があり、

            それを巨大なモニュメントが被っています。

            周囲は公園になっており、市民が思い思いに安らっていますが、

            公園の柵のすぐ外側では朝から晩まで、

            民族衣装を着た男性がバグパイプを吹いているのです。

            (後ろに見えるのがスコット記念塔)

            その音色は街中に響き渡り、いやでも「ここはスコットランドなのだ!」と、

            人々の意識に染み込んできます。


            私たちはエジンバラに来たからには「エジンバラ城」に行こう!

            と向かったのですが・・・。



            街を見下ろすようにそびえるエジンバラ城の外観を見たとたん、

            何だか足取りが鈍くなってしまいました。

            所々崩れ落ち、戦火で焼かれたような黒い跡、

            まるでまだ戦いが続いていて、鎧のぶつかり合う音が聞こえて

            きそうな気がしたのです。

            折しも空が急に灰色になり、雨が降ってきました。

            「こんなおどろおどろしい場所はやめよう」と、私たちは再び坂を下りました。


            すると、どうしたのでしょう、通りには急に人が溢れています。

            もともと8月のこの時期は、エジンバラ国際フェスティバルと、

            そこには参加できない人達が無審査で行う「フリンジフェスティバル」が

            開催されており、世界中から大勢の人がこの街にやって来ます。

            人はどんどん増え、やがて身動きができなくなりました。



            しばらくすると警官隊が出て、お城に通ずる道を封鎖し、

            交通整理を始めたのです。

            「何があるのですか?」と警官の一人に聞くと、

            「これからMilitary Tatooが始まるんだ」と答えが返ってきました。

            ミリタリー? タトゥー?

            何だかさっぱり分かりません。

            若い警官が売っているプログラムを6ポンド(約1000円)で買い、

            早速開いてみると・・・。


            「ミリタリー・タトゥー」とはどうやら軍楽隊のパフォーマンスショウ

            らしいのです。

            お城の前庭でこの時期に繰り広げられる、それは盛大なイベントだそうです。

            「タトゥーって刺青じゃないですか?」とそばにいた婦人警官に聞いてみたところ、

            彼女は笑って「タトゥーには二つの意味があるのよ。

            ここでは軍楽隊という意味ですから」と答えてくれました。

            やれやれ、です。


            ふと気づけば、時計はもう午後9時近く。

            緯度の高いエジンバラではまだ黄昏です。



            時折かもめが飛んできて、海が近い街であることに気付かされます。

            しばらく目抜き通りを歩き、タータンチェックのお店などを

            覗いているうちに、午後11時近くになってしまいました。

            ホテルに戻ろうとバスに乗ったのですが、

            停留所をひとつ手前で降りてしまい、ホテルまで歩くはめに。


            市街地の端にあるホテルまでの道は、

            またエジンバラの別の顔を見せてくれました。



            まるで映画のセットのような、孤独で侘しい町並み。

            人通りもなく、中華料理店とピザ店の寒々とした灯りが

            舗道を鈍く照らしていました。


            「鬼哭啾啾」。

            ふと、この地を守るために無念の最後を遂げた大勢の人々、

            ローマ兵に追われたケルト人やその前の先住民たちの憂いの囁きが、

            街を吹き抜ける風のように聞こえてくる気がしました。


            私たちはホテル近くのインド料理店の最後の客となり、

            部屋に戻って、ただひたすら眠りました。

            明日のために。


                                    (続く)










            posted by: shigemi11 | - | 16:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            捨て色
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              一昨日の夕食後のことです。

              「この仕事をしていると、時々、良心が痛むんだ。」 

              と、デザイナーの息子が言い出しました。

              聞き捨てなりません。

              「どうして?」


              「わざわざ廃棄するために作る商品があるんだよ。

              『捨て色』と言って、同じデザインでも

              「こんな色、誰が着るんだ!」っていう色の服を

              20%は作らなければいけないんだ・・・。

              エコと真逆だよね。」


              「へぇ、何故なの?」



              「ピンクやベージュの売れ筋だけの商品を並べてもダメなんだよ。

              それらが売れるためには、コントラストとして

              変な色の服も投入するのさ。

              そうすると品揃えが多く見えて、

              お客さんも手に取りやすいんだよ。


              でもさ、資源が、環境が、とか言いながら

              こんな無駄を作り出していていいのか、っていつも悩むんだ。

              アパレル業界全体なら、何十億か何百億の無駄金だよ。

              あ〜、誰か僕のこの悩みを解決してくれないかな。」


              ビジネス的に考えれば、

              違うデザインを多品種投入するより、

              同じデザインで色数を増やした方がリスクが少なくて済みます。

              それに、無地で原反を持っていれば、

              店頭での売れ筋の色を素早く増産することもできます。


              そういえば、「捨て色」はアパレルに限らず、化粧品など、

              他の分野にも見られます。



              これは、もしかしたら「マーケティング手法」の一つかもしれません。

              で、その意味は何?

              親子で「あーでもない、こーでもない」とディスカッションが始まりました。


              私曰く「何事も「遊び」が必要でしょ。

              洋服でも、腕周りぴったりに作られたら、

              腕が動かせなくて着られないけど、数センチの遊びがあって初めて

              楽に動かせるし。

              まあ必要悪みたいなものではないの。」

              息子曰く「あ、それ聞いて『パレートの法則』を思い出した!」


              急に顔が明るくなり、一人で納得した様子。

              「20%の売れ筋を担保するために、20%の捨て色を作る、か!

              そうか、これは構造的な問題なんだね。

              オレが一人で心を痛める必要はない訳だ。

              捨て色の商品も廃棄しなでいで、途上国に無償で寄付すれば

              無駄にならないし!!

              ありがと!心が晴れたよ。」


              そう言うか早いか、鼻歌を歌いながら

              パタンと自室のドアの奥に消えていきました。


              「捨て色」は社会が円滑に回るための構造的余剰とでもいうのでしょう。

              この現象は自然界にも見られます。

              話は飛びますが、

              以前「生命の神秘」いうドキュメンタリーで、

              何億の精子群がひとつの卵子めがけて競争する映像を目にしました。

              進むにつれ、次々と脱落者が出、卵子を前にした時には、

              わずか数個の精子しかいないのです。


              どれも疲れきって、鞭毛の動きも鈍くなっています。

              それでも、どれか一つの精子が力を振り絞って

              巨大な卵子の膜を破ろうとします。

              すると、その瞬間、今までライバルだった他の精子が一転して協力し合い、

              その精子を押して卵子への侵入を助け始めたのです。

              その代償に、彼らは力尽きて死んでしまうのです。


              それは、とても感動的で、尊い画像でした。

              見ていて涙が止まりませんでした。

              そして、

              ひとつの精子を生かすためには、脱落していったあの何億の精子たちが

              必要だったのだ、と感じたのでした。



              必要なものを活かすための無数の犠牲的存在、

              それは決して無駄ではなく、奥深い「生命の仕組み」なのでしょう。

              だからこそ、生まれた命は尊いのですね。










              posted by: shigemi11 | - | 13:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              「日本人のDNA」でパイプオルガンを―児玉麻里さんの挑戦
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                6月26日、前日までの爽やかさと打って変わって土砂降りの一日でしたが、

                児玉麻里さんが主催する「第23回インターナショナル・オルガン・フェスティバル・

                イン・ジャパン」の演奏会が横浜の県民ホールで開かれました。

                招待をいただいた私は、主人と駆けつけ、演奏を堪能してきました。


                主催者の児玉麻里さんは、小柄の控えめな女性ですが、

                シカゴ大学で宗教音楽を学び、「アメリカン・ギルド・オブ・オルガニスト」の

                メンバーとなって、これまでに世界35ヵ国、350都市からの招聘を受けて

                演奏活動を行ってきました。



                その児玉さんが、この夜、演奏前にとても印象的なエピソードを

                語ってくれたのです。


                それは、ザルツブルグに行った際、地元のモーツアルト協会の重鎮と

                ディナーをしたときのこと。

                その席には児玉さんのほか、ドイツ、フランスはもちろん、

                世界中の名だたるピアニストが座っていました。

                彼らを軽く見回して、協会の重鎮はこう言ったのです。

                「ザルツブルグの水を飲まない人に、

                果たしてモーツアルトは分かるのでしょうかねぇ。」


                それを聞いて児玉さんはこう切り替えしたそうです。

                「内田光子さん(注)をご存じですか?」

                「もちろん。素晴らしいピアニストですね。

                 彼女のCDは全て我が協会のコレクションに入っています。」

                「それまで評価していらっしゃるのに、何故そのように

                 
                 
                 
                 おっしゃるのですか?」


                (注)世界的な日本人ピアニスト。現在は英国籍



                モーツアルト協会の人は、おもむろに答えました。

                「音楽は、言語学と同じなのです。

                あなたは、外国人が如何に文法的に正確に日本語を話しても、

                聞いたとたん、外国人だと分かりますね。

                音楽もそれと同じなのです。」


                この話は、児玉さんの心に深く刺さります。

                本質を突かれた児玉さんは悩み抜きました。

                そして、バッハやモーツアルトを演奏するだけだった

                今までの音楽人生を、ガラリと変える決断をするに至るのです。


                「日本人のDNAを生かし、日本人でなければできない

                 オルガン音楽を創ろう!」


                そう決意した児玉さんは、1995年、箏と尺八とパイプオルガンの編成で

                「サウンド・オブ・ピース」を結成します。

                (サウンド・オブ・ピース、 西宮 仁川学院コルベ講堂にて 2011年)


                以後、和太鼓、笛、太鼓、鼓、笙、声明など、

                日本の伝統的な楽器とのコラボレーションによる

                室内楽の創作と演奏に取り組みはじめました。

                さらに、邦楽、能楽、神楽などを取り込みながら、

                「日本発の新しいクラシック音楽」のスタイル作りに励んでいます。

                その演奏活動はウィーン、ベルリンを始め、

                広く欧米各国で好評を博しています。


                26日は、児玉さんが作曲した

                「フランシスコ・ザビエルの足跡」と「長州5傑の栄光」が

                演奏されました。

                「長州5傑の栄光」は、幕末に長州の若き志士5人が

                英国目指して密航してから今年で150年目にあたるのを記念して

                作られたそうです。

                「ザビエル」の方は、ザビエルを称えるというより、

                ザビエルの目を通して見た当時の日本の素晴らしさを

                表現しているように感じました。



                箏、尺八、そしてパイプオルガン。

                日本人が日本の歴史をテーマに作曲した作品が、

                日本人によって演奏されるのです。


                世界でここだけしかない室内楽が始まりました。

                漣のような箏の調べ、空間を切り裂くような尺八の、

                鋭く、しかも暖かな響き。

                それを引き立てるようなパイプオルガンの

                一枚の薄布のように控えめな、だがクリアな音の広がり。

                未体験の音楽でした。

                和の楽器の存在感がひしひしと伝わってきます。

                武満徹の「ノベンバー・ステップス」のような、

                日本発の立派なクラシック音楽です。


                このあと、トーマス・トロッターという英国のオルガニストが

                演奏したのですが、サウンド・オブ・ピースのインパクトの後では、

                失礼ながら単調でチマチマした印象しか残りませんでした。


                帰り道、私はふとファッションデザイナーの森英恵さんを

                思い出しました。

                毎年のようにパリコレに出展していた森さんは、

                自分では成功していると思っていたある時、

                「あなたは日本人なのに、どうしてフランス人の真似ばかりしているの?

                 日本人にしかできないものを見せて頂戴」

                とフランス人に言われて大変ショックを受けます。


                以来、「日本人として」デザインすることの意味を考え続け、

                試行錯誤の果に「蝶」のモチーフにたどり着きます。

                今ではハナエ・モリというと、誰でもが「蝶」をイメージしますが、

                そこに至るまでは人知れぬ苦労、心労があったのでした。


                児玉さんも、森さんも、世界に羽ばたくために、

                眠っていた自分の内なる「日本」を

                掘り起こし、息を吹きかけ、蘇らせました。



                逆説的ですが、深く日本人であることが、

                広く世界に通用する人間になれるということなのでしょう。


















                 

                posted by: shigemi11 | - | 15:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                器に宿る「いのち」
                0

                   

                  5月に奈良旅行に行った際、初日に「ならまち」にある

                  和風カフェ「たちばな」に寄りました。

                  神戸に住む兄の知り合いの方がご家族で営む、

                  とても気持ちの良いカフェです。

                  下の写真は、「たちばな」のHPから拝借したものですが、

                  細長い店内は入って左側が喫茶スペース、

                  右側が陶磁器の展示スペースになっています。

                  (販売もしています。)




                  ご主人が陶磁器が好きな方で、ご自分の足で探した器を展示しています。

                  私たちが訪れた日はちょうど二階で「加藤泰一陶展」をやっていました。


                  「どうぞどうぞ」というご主人の言葉に誘われて2階に上がった私は、

                  そこで出会ってしまいました!


                  加藤泰一氏作の貫入の茶飲み茶碗です。



                  夫婦茶碗が欲しかったのですが、

                  「ふたつと同じものはできないのですよ」という言葉にそれは断念。

                  私が選んだのは鮮やかな青磁に貫入が入った一品(写真右)。

                  釉ごしに透明な貫入が細かく入っています。

                  もう一品は青磁の色はやや薄いのですが、

                  窯から出したあと、ベンガラの液に浸けて

                  貫入に染み込ませたのが「いい味」を出しています(写真左)。


                  貫入は、釉と素地の収縮率の差により、焼成後の冷却時に生ずる

                  釉のひびです。


                  釉薬の種類によっても違いますが、

                  通常の陶器は素地の上に施釉してから1200度から1300度の

                  高温で焼かれます。

                  その際、釉薬は溶けてガラスのような層(SiO2)になって

                  陶器の表面を覆います。


                  窯から出した後は次第に冷えていきますが、

                  その時素地と釉薬の収縮率の差が大きいと(10%以上)、

                  釉薬がひびのような状態になって固まります。

                  これが貫入です。


                  驚いたことに、貫入は窯から取り出して

                  大分日にちが経ってからも入るそうです。

                  夜、静かなひとときに「ポン!」とか「ピン!」という

                  貫入が入る音が聞こえるそうです。

                  窯から生まれた器が成長している、と感ずる瞬間ですね。


                  西洋的な感性からいえば、

                  貫入はただのひび、いわば不良品とみなされてしまうでしょう。

                  でも、日本人は違うのです。

                  その変化を「成長」と捉えます。


                  やがて使うほどにお茶やお酒の色が器に移っていきます。

                  それを先人は「育つ」と言って、ことのほか愛でました。


                  器を我が子を育てるように愛情を注ぎ込んで使う、

                  細やかな感性が忍ばれます。

                  器にも「いのち」が宿ると考えたのでしょう。

                  だからこそ、どんなものにも「もったいない」という気持ちで

                  接したのでしょうね。


                  今、私は毎日この茶碗でお茶を飲んでいます。

                  ベンガラ色の貫入がある方は、主人が

                  「こっちがいい」というので、譲り、

                  私は青い方を使っています。


                  「紅茶にしようかな」と思う時でも

                  この器が使いたくて、つい緑茶を飲んでしまいます。

                  この茶碗がどんな風に育つか、

                  今から楽しみでなりません。


                  器を変えるだけで、

                  お茶を飲むことが、こんなにも楽しくて

                  心に「ゆとり」を運んでくれるものになるとは。











                  posted by: shigemi11 | - | 16:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  リアルな情報とリアルタイムの情報
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                    3月でなくても11日が近づくと、東北大震災を思い出すのは

                    私だけではないでしょう。

                    あの日、誰もが携帯やスマホを握り締め、

                    災害状況や家族・友人の安否を確認しあっていました。

                    既存のメディアだけなく、ツイッターなどのSNSが

                    情報収集に大きな枠割を演じたのも記憶に新しいことです。


                    今や日本人の4人に1人がスマホを持っている時代。

                    当たり前のように多くの人が毎日リアルタイムの情報収集を

                    しています。

                    しかし、そこには危険な落とし穴も・・・。


                    「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」の著者、

                    池上正樹さんは、この「リアルタイムの情報収集」に

                    関して、被災者からとても気になる話を聞きました。


                    石巻漁港で卸商を営むAさんは、3月11日、漁港内の建物で

                    大きな揺れを感じました。

                    建物に留まるよう主張する人もいましたが、多くの人は

                    すぐに高台に向かって逃げ始めたそうです。

                    Aさんも車で800mほど内陸に入った高台を目指しましたが、

                    途中から道路が渋滞して車列が動かなくなってしまいました。


                    仕方なくAさんは車を乗り捨て、高台に向かって必死に

                    走りました。走りながら、車の中の人たち向かって

                    「津波が来るぞ!逃げろ!」と大声で叫びましたが、

                    ほとんどの人は耳を貸さず、下を向いていました。


                    「車の中にいた人たちは、携帯の画面を見て、

                    下を向いていたんだ。みんな、周りの様子も、

                    津波が来ていた様子も、全然見えていなかったんだよ」

                    とAさんは語ってくれました。



                    Aさんが高台近くのスーパーの屋上にようやくたどり着いた直後、

                    漁港も、今しがた走り抜けてきた道路も、車の列も、すべて津波に没しました。


                    何が生死を分けたか。

                    それは、五感を駆使したリアルな情報収集と

                    SNSを使ったバーチャルなリアルタイムの情報収集の

                    どちらを優先したか、です。


                    平常時や、自分が被災地から遠い場合は、

                    SNSによる情報収集はとても役に立ち、安心を与えてくれます。

                    しかし、大震災のような非常時には、必ずしもそうではありません。


                    みなさんも経験があると思いますが、

                    スマホや携帯で、次々と情報を追っているうちに、

                    気がついたら結構時間が経っていた、という時がありますね。

                    普段なら「あ〜あ、10分も経っちゃった。」で済みますが、

                    1分1秒を争う緊急時だったらどうでしょう。

                    リアルタイムの情報を追いかけて、

                    リアルの出来事に気がつかなければ、

                    命を落とすことにもなりかねません。


                    便利さの裏の落とし穴に気を付けて

                    臨機応変に情報収集を心がけたいものです。










                    posted by: shigemi11 | - | 15:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    「似て非なるもの」書き分け遊び
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                      梅雨どきの日曜日、外遊びも出来ない子供達とよくこんな遊びをした。

                      紙と鉛筆だけで、「似て非なるもの」を書き分けるのである。

                      だいたい上の4人の子供達でやった。

                      たとえば、「絹豆腐と木綿豆腐」「紙粘土のかたまりと油粘土のかたまり」

                      「生花のばらと造花のばら」「悲しくて泣いている顔とうれし泣きの顔」

                      「ホットコーヒーとホットティー」「麦茶の入ったコップとコーラの入ったコップ」などなど。

                      正解はない。それらを描いてはお互いに上手だの下手だの言って

                      わいわいするだけだが、子供達も乗って結構楽しかった。


                      それでも結構難題があって、難しかったのは

                      「おねしょで濡れた布団と水をかけて濡れた布団」だった。

                      ひとりが物干し竿に2枚の布団を描き、その真ん中あたりに

                      水のしみを描いて、片一方の布団

                      から湯気を出させ、「どう!」といわんばかりの顔をした。


                      すると、他のひとりが「おねしょは大体冷たくて起きるから、竿に干す頃は湯気なんか

                      出ていないよ。」と突っ込む。

                      「お湯かけたって湯気は出るじゃん!」と、もうひとりが抗議する。

                      なかなか手厳しい。


                      「じゃぁ、どうすれば『おねしょ布団』らしく見えるか、考えてごらん。

                      みんな体験者なんだし。」とジャッジの私。


                      しばらく子供達は鉛筆を動かしながら考え込んでいたが、

                      そのうちのひとりが、誰が見てもまさに「おねしょ布団」にしか見えない絵を描いた。

                      「あっ」と誰もが思った。

                      どんな絵か、想像がつくだろうか。


                      見てしまえば実に簡単なことなのだ。

                      片方の布団のそばに頭から湯気を出して怒っている母親が描かれているのだ。

                      「なるほどね〜」 私は思わず脱帽してしまった。


                      その絵を見たほかの子供達も頭の中に電気がついたように、

                      「似て非なるもの」を次々と描いていった。

                      コツを掴んだのである。

                      状況証拠を書き足せばいいというわけだ。


                      興に乗って子供達は「もっと問題出してぇ〜」とせがんだが、

                      私のアタマの方がパンクして、タネ切れになってしまった。

                      こんな遊びでも2,3時間はすぐに経ってしまい、やがておやつの時間となり、

                      雨の日曜日もつつがなく過ぎてゆくのであった。


                      皆さんも時間があるとき、「似て非なるもの」を書き分けてみたらいかが?

                      日常生活のなかの「似て非なるもの」を見つけるだけでも頭の体操になると思うのだが。


                      たとえば、

                      「雨傘と日傘」「開ける途中のドアと閉める途中のドア」

                      「朝日と夕日」「トンカツとチキンカツ」「しょうゆとソース」

                      「あくびで開いた口と大声を出して開いた口」「Vサインとじゃんけんのチョキ」

                      「先生に怒られて逃げて行く時の走り方とかけっこの走り方」


                      ―ちなみに、子供達にとってこれはほんの初級である。

                      問題を考える方の大変さを分かって欲しい(笑)。


                      posted by: | - | 16:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |